JH-A3-11|歴史総合・日本史探究 対策問題
607年に遣隋使として派遣された小野妹子が持参した国書について述べた記述として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
「日出づる処の天子」の表現で、中国皇帝に臣従しない対等の姿勢を示そうとした
背景・因果
国書の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という表現は、皇帝煬帝を不快にさせたと『隋書』に記される。冊封を受けず対等の形式を目指した点が、朝貢した邪馬台国や倭の五王との違いとして問われる。留学生・学問僧の同行が大化改新の人材を育てた点も重要。
覚えるポイント
核となる対応:「「日出づる処の天子」の表現で、中国皇帝に臣従しない対等の姿勢を示そうとした」。「日出づる処の天子」から「日没する処の天子」へという表現は、倭王を天子と称して隋皇帝と対等な形式を目指したものだった。煬帝が不快に感じたとされる。
混同防止「隋の皇帝への朝貢と臣従を明確に誓った」:冊封を受けて臣従を誓う文面ではなく、双方を天子と呼ぶ対等志向の国書だった。邪馬台国や倭の五王の朝貢外交との違いが識別点である。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「隋との断交を通告する内容だった」
遣隋使は隋との国交と先進文化の導入を目指した。断交を通告する使節ではなく、留学生や学問僧も派遣された。
② ❌ 誤答「国書は仏教の禁止を要請する内容だった」
推古朝は仏教を国家形成に活用し、国書も仏教禁止を求めていない。憲法十七条にも三宝尊重が示される。
③ ✅ 正解「「日出づる処の天子」の表現で、中国皇帝に臣従しない対等の姿勢を示そうとした」
「日出づる処の天子」から「日没する処の天子」へという表現は、倭王を天子と称して隋皇帝と対等な形式を目指したものだった。煬帝が不快に感じたとされる。
④ ❌ 誤答「隋の皇帝への朝貢と臣従を明確に誓った」
冊封を受けて臣従を誓う文面ではなく、双方を天子と呼ぶ対等志向の国書だった。邪馬台国や倭の五王の朝貢外交との違いが識別点である。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。