JH-B3-03歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究B 中世の日本と世界(3) 中世の国家・社会の展開と画期

元寇(蒙古襲来)について述べた記述として最も適切なものはどれか。

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正解: 1

正解

文永の役・弘安の役の二度にわたり、元軍は「てつはう」や集団戦法で日本軍を苦しめた

背景・因果

フビライの服属要求を執権北条時宗が拒否し、文永の役(1274年)・弘安の役(1281年)が起こった。元軍は火器「てつはう」や集団戦法を用いた。防衛戦のため恩賞は乏しく、異国警固番役の負担も続いて御家人の窮乏が進んだ。『蒙古襲来絵詞』(竹崎季長)は最重要の絵画史料。

覚えるポイント

  • 核となる対応:「文永の役・弘安の役の二度にわたり、元軍は「てつはう」や集団戦法で日本軍を苦しめた」。1274年の文永の役と1281年の弘安の役で、元軍は集団戦法や火器『てつはう』を用いた。鎌倉武士の戦法との違いが『蒙古襲来絵詞』にも表される。

  • 混同防止「元軍は九州に上陸できず、戦闘は一度も起こらなかった」:元軍は博多湾岸など北部九州へ上陸し、日本軍との戦闘が起こった。上陸も戦闘もなかったという説明は史実に反する。

選択肢別の検討

① ✅ 正解「文永の役・弘安の役の二度にわたり、元軍は「てつはう」や集団戦法で日本軍を苦しめた」
1274年の文永の役と1281年の弘安の役で、元軍は集団戦法や火器『てつはう』を用いた。鎌倉武士の戦法との違いが『蒙古襲来絵詞』にも表される。

② ❌ 誤答「元軍は九州に上陸できず、戦闘は一度も起こらなかった」
元軍は博多湾岸など北部九州へ上陸し、日本軍との戦闘が起こった。上陸も戦闘もなかったという説明は史実に反する。

③ ❌ 誤答「幕府は元の要求を受け入れて朝貢した」
執権北条時宗はフビライの服属要求を受け入れず、使者を処刑して防衛を準備した。元への朝貢を選んだのではない。

④ ❌ 誤答「戦後、御家人には十分な恩賞地が与えられた」
元寇は外国軍を防ぐ戦いで新たな恩賞地が得られず、御家人への恩賞は不足した。異国警固番役などの負担も続き、御家人窮乏の一因となった。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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