RS2-011|歴史総合・世界史探究 対策問題
クリミア戦争(1853〜56年)が東アジアに与えた影響として最も適切なものはどれか。
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正解: 3
正解
南下を阻まれたロシアが、極東方面への進出に力を注ぐようになった
この問題のポイント
クリミア戦争が東アジアに与えた影響を問う問題。南下を阻まれたロシアが極東進出へ転じた、というヨーロッパと日本周辺の連動で解ける。
解説
ロシアは凍らない港を求めて南へ拡大する南下政策をとり、オスマン帝国に圧力をかけ続けていた。
1853年に始まるクリミア戦争では、ロシアの南下を警戒するイギリス・フランスがオスマン帝国側で参戦し、ロシアは敗北した。1856年のパリ条約で黒海の中立化が定められ、バルカン・地中海方面への南下は阻まれた。
すると、ロシアの関心は極東へ向かう。アロー戦争に乗じてアイグン条約・北京条約で沿海州を獲得し、日本にも接近した。日露和親条約(1855年)が結ばれたのは、まさにクリミア戦争の最中である。
ヨーロッパでの戦争の帰結が、日本周辺の国際関係を変えるという世界の連動こそ、歴史総合がこの戦争を扱う理由である。ナイチンゲールの看護活動もこの戦争の逸話として知られる。
ひっかけポイント
クリミア戦争はロシアの敗北であり、「地中海の制海権確立」は正反対。敗北→方向転換(極東へ)という因果の向きを正確に押さえる。
選択肢の確認
①「イギリスがアジアから完全に撤退した」
❌ 誤り。
イギリスは戦後もインドなどアジアで植民地支配と通商を拡大した。クリミア戦争を理由にアジアから全面撤退していない。
②「この戦争で日本は開国を撤回した」
❌ 誤り。
日本は1854年の日米和親条約、1855年の日露和親条約で開国を進め、撤回していない。ヨーロッパの戦争は周辺列強の動きを変えた。
③「南下を阻まれたロシアが、極東方面への進出に力を注ぐようになった」
✅ 正しい。
クリミア戦争で英仏に敗れ黒海・バルカン方面への南下を阻まれたロシアは、極東進出を強めた。1855年の日露和親条約など日本の開国期とも重なる。
④「ロシアが地中海の制海権を確立した」
❌ 誤り。
ロシアは戦争に敗れ、1856年のパリ条約で黒海の中立化を受け入れた。地中海の制海権を確立したのではない。
覚えるポイント
- クリミア戦争は1853〜56年、露が英仏などに敗北
- 南下阻止→ロシアの関心が極東へ
- 日露和親条約1855年は戦争の最中に締結
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。