RS2-010歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合B 近代化と私たち(1) 近代化への問い

ナポレオン戦争後のウィーン体制について述べた記述として最も適切なものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 4

正解

革命前の秩序の回復を原則としたが、自由主義・国民主義の運動に揺さぶられた

この問題のポイント

ウィーン体制の性格を問う問題。革命前の秩序回復(正統主義)を原則としたが、自由主義・国民主義の運動に揺さぶられた、という抑圧と抵抗の構図で解ける。

解説

ナポレオン戦争後の1814〜15年、ヨーロッパ各国はウィーン会議で戦後秩序を協議した。指導したのはオーストリア外相メッテルニヒである。
会議の原則は正統主義、すなわちフランス革命前の王朝と体制を正統として復活させることだった。こうして成立したウィーン体制は、各国の君主が協力して革命運動を抑え込む保守的な国際秩序である。
しかし、革命が広めた自由主義(憲法・議会を求める)と国民主義(民族の統一・独立を求める)の理念は消えなかった。ラテンアメリカ諸国やギリシアの独立、フランスの七月革命(1830年)が体制を揺さぶる。
そして1848年の二月革命とその波及(諸国民の春)でメッテルニヒは亡命し、ウィーン体制は事実上崩壊した。

ひっかけポイント
ウィーン体制はフランス革命の「後」に、革命の再発を防ぐために作られた体制。順序を逆にした選択肢や、民主化推進という性格の逆転に注意する。

選択肢の確認

①「各国の民主化を積極的に推進する体制だった」
誤り。
ウィーン体制は各国の民主化を促進せず、神聖同盟・四国同盟などで革命運動を抑圧した。自由主義者から見れば対抗すべき保守体制だった。

②「アジア諸国も加わった世界規模の同盟だった」
誤り。
会議を主導したのはオーストリア・ロシア・プロイセン・イギリスなどヨーロッパ列強で、アジア諸国を含む世界規模の同盟ではない。

③「この体制の下でフランス革命が起こった」
誤り。
フランス革命は1789年、ナポレオン戦争後のウィーン体制成立は1815年である。革命の拡大を受けて旧秩序を再建したので、前後関係が逆である。

④「革命前の秩序の回復を原則としたが、自由主義・国民主義の運動に揺さぶられた」
正しい。
1815年のウィーン会議は正統主義・勢力均衡により革命前の王朝秩序を回復しようとした。しかし自由主義・国民主義運動が続き、1848年革命で体制は大きく崩れた。

覚えるポイント

  • ウィーン会議は1814〜15年、メッテルニヒ主導
  • 原則は正統主義=革命前の秩序の回復
  • 七月革命1830年・二月革命1848年で崩壊へ

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

関連問題

RS2-009RS2-011