WT4-A10|歴史総合・世界史探究 対策問題
日清戦争後の1898年、康有為らが光緒帝のもとで進めた改革はどれか。
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正解: 3
正解
戊戌の変法
この問題のポイント
日清戦争後の制度改革である戊戌の変法を問う問題。「康有為・光緒帝・1898年・明治維新がモデル」のセットで特定できる。
解説
1895年、清は日清戦争に敗れて下関条約を結び、さらに列強による中国分割(租借地の設定)が一気に進んだ。「技術だけの近代化(洋務運動)では国は救えない」という危機感が知識人に広がった。
公羊学者の康有為とその弟子梁啓超は、日本の明治維新を模範として、憲法制定・議会開設を含む政治制度の改革(変法)を若い光緒帝に説いた。1898年(戊戌の年)、光緒帝は康有為らを登用して科挙の改革、新式学堂の設立、行政機構の刷新などの改革に着手した。これが戊戌の変法である。
しかし急進的な改革は、西太后を中心とする保守派の強い反発を招いた。同年9月、西太后はクーデタ(戊戌の政変)を起こして光緒帝を幽閉し、改革派を処刑した。康有為・梁啓超は日本へ亡命し、変法はわずか100日余りで挫折した(百日維新とも呼ばれる)。
上からの改革が失敗したことで、清朝そのものを倒す革命運動への流れが加速していく。
ひっかけポイント
洋務運動(1860年代〜・技術導入)と戊戌の変法(1898年・制度改革)の段階の混同が定番。変法を潰した側(西太后・戊戌の政変)と進めた側(康有為・光緒帝)を取り違えない。
選択肢の確認
①「義和団運動」
❌ 誤り。
義和団運動は1900年前後に扶清滅洋を掲げた排外的な民衆運動であり、上からの制度改革である変法とは性格も時期も異なる。
②「辛亥革命」
❌ 誤り。
辛亥革命は1911年に清朝を倒した革命であり、清朝の枠内で立憲君主制をめざした戊戌の変法とは目的が正反対である。
③「戊戌の変法」
✅ 正しい。
正解。日清戦争の敗北を受け、康有為・梁啓超らが明治維新を模範に立憲君主制をめざし、1898年に光緒帝のもとで進めた改革が戊戌の変法である。西太后らの戊戌の政変により約100日で挫折した。
④「洋務運動」
❌ 誤り。
洋務運動は1860年代から曾国藩・李鴻章らが中体西用を掲げて進めた軍事・産業の近代化で、政治制度には手をつけず、日清戦争の敗北でその限界が露呈した。
覚えるポイント
- 戊戌の変法は1898年、康有為・梁啓超が光緒帝のもとで実施
- モデルは日本の明治維新、立憲君主制をめざす
- 西太后の戊戌の政変で約100日で挫折、康有為らは日本亡命
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。