JH-A3-15歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究A 原始・古代の日本と東アジア(3) 古代の国家・社会の展開と画期

藤原道長について述べた記述として最も適切なものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 3

正解

娘を次々と天皇の后とし、「望月の歌」を詠むなど摂関政治の全盛期を築いた

背景・因果

藤原道長は4人の娘を天皇・皇太子の后とし、外戚として権勢をふるった。1018年の「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」は権力の絶頂を示す歌として有名。自筆の日記**『御堂関白記』**は当時を伝える一次資料。子の頼通とあわせて摂関全盛期を代表する。

覚えるポイント

  • 核となる対応:「娘を次々と天皇の后とし、「望月の歌」を詠むなど摂関政治の全盛期を築いた」。藤原道長は娘たちを天皇・皇太子の后として外戚関係を築き、摂関政治の全盛期を現出した。1018年の望月の歌が権勢の絶頂を象徴する。

  • 混同防止「武士として初めて太政大臣となった」:武士として初めて太政大臣となったのは平清盛である。藤原道長は摂関家の公家であり武士ではない。

選択肢別の検討

① ❌ 誤答「遣唐使の停止を建議した人物である」
遣唐使停止を894年に建議したのは菅原道真である。藤原道長の時代には遣唐使停止後の国風文化が成熟した。

② ❌ 誤答「院政を始めて上皇として実権を握った」
院政を始めたのは11世紀末の白河上皇である。道長は天皇の外戚として摂関政治を主導した人物で、上皇ではない。

③ ✅ 正解「娘を次々と天皇の后とし、「望月の歌」を詠むなど摂関政治の全盛期を築いた」
藤原道長は娘たちを天皇・皇太子の后として外戚関係を築き、摂関政治の全盛期を現出した。1018年の望月の歌が権勢の絶頂を象徴する。

④ ❌ 誤答「武士として初めて太政大臣となった」
武士として初めて太政大臣となったのは平清盛である。藤原道長は摂関家の公家であり武士ではない。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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