JH-D3-09|歴史総合・日本史探究 対策問題
サンフランシスコ平和条約(1951年)について述べた記述として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 1
正解
吉田茂内閣が48か国と調印して独立を回復し、同日に日米安全保障条約も結ばれた
背景・因果
吉田茂内閣は1951年、48か国とサンフランシスコ平和条約を結び、翌年発効して独立を回復した。ソ連は調印せず、中国は招かれなかった「単独講和」で、沖縄・小笠原はアメリカの施政権下に残った。同日調印の日米安全保障条約で米軍駐留が続く。国連加盟は日ソ共同宣言後の1956年。
覚えるポイント
核となる対応:「吉田茂内閣が48か国と調印して独立を回復し、同日に日米安全保障条約も結ばれた」。吉田茂内閣は1951年に48か国と平和条約へ調印し、1952年の発効で主権を回復した。同日、日米安全保障条約にも調印して米軍駐留を継続した。
混同防止「ソ連や中華人民共和国を含むすべての交戦国と調印した」:ソ連は条約に調印せず、中華人民共和国も中華民国も講和会議へ招かれなかった。すべての交戦国と結んだ全面講和ではなく多数講和である。
選択肢別の検討
① ✅ 正解「吉田茂内閣が48か国と調印して独立を回復し、同日に日米安全保障条約も結ばれた」
吉田茂内閣は1951年に48か国と平和条約へ調印し、1952年の発効で主権を回復した。同日、日米安全保障条約にも調印して米軍駐留を継続した。
② ❌ 誤答「ソ連や中華人民共和国を含むすべての交戦国と調印した」
ソ連は条約に調印せず、中華人民共和国も中華民国も講和会議へ招かれなかった。すべての交戦国と結んだ全面講和ではなく多数講和である。
③ ❌ 誤答「この条約により沖縄はただちに日本へ返還された」
沖縄は条約後もアメリカの施政権下に置かれ、日本復帰は1972年である。1952年の独立回復と沖縄返還を同時とすることはできない。
④ ❌ 誤答「条約調印と同時に日本は国際連合へ加盟した」
日本の国際連合加盟は日ソ共同宣言でソ連との国交を回復した後の1956年である。1951年の条約調印と同時ではない。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。