JT2-A22|歴史総合・日本史探究 対策問題
842年の承和の変について述べた記述として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
伴健岑・橘逸勢らが退けられ、藤原良房の地位が高まった
背景・因果
承和の変では伴健岑・橘逸勢らが謀反の疑いで退けられ、藤原良房の外戚としての地位が固まった。応天門の変(866年)と並ぶ、藤原氏の他氏排斥の代表例である。
覚えるポイント
他氏排斥の流れ「承和の変→応天門の変→安和の変(969年・源高明)」はセットで年代順に問われる。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「蘇我氏が滅ぼされた政変である」
蘇我氏が滅ぼされたのは645年の乙巳の変で、中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を倒した。842年の承和の変とは人物・時代が異なる。
② ❌ 誤答「武士が初めて政権を握った事件である」
武士が初めて政権を握るのは12世紀末の鎌倉幕府成立である。承和の変は9世紀朝廷で藤原氏の地位が上がった政変である。
③ ✅ 正解「伴健岑・橘逸勢らが退けられ、藤原良房の地位が高まった」
842年の承和の変で伴健岑・橘逸勢らが謀反の疑いで排斥され、藤原良房の外戚としての地位が高まった。藤原氏による他氏排斥の初期例である。
④ ❌ 誤答「平将門が起こした反乱である」
平将門の乱は935〜940年に関東で起きた武士の反乱で、承和の変より約一世紀後である。中央政変と地方反乱を混同している。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。