JT2-A23|歴史総合・日本史探究 対策問題
「延喜・天暦の治」と呼ばれる時代の説明として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
醍醐・村上天皇が摂政・関白を置かずに親政を行い、後世に理想化された
背景・因果
10世紀前半の醍醐・村上天皇の親政は、摂関を置かず、延喜の荘園整理令や『延喜式』の編纂などを行い、「延喜・天暦の治」と後世に理想化された。
覚えるポイント
「理想化された」という評価の問題まで含めて問われる。実際にはこの時期に律令制の崩れ(課税の転換)が進んでいた。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「戦乱が全国に広がった時代である」
10世紀前半には承平・天慶の乱などはあったが、延喜・天暦の治の定義は全国戦乱ではなく天皇親政を理想化した呼称である。
② ✅ 正解「醍醐・村上天皇が摂政・関白を置かずに親政を行い、後世に理想化された」
醍醐・村上天皇は摂政・関白を置かず親政を行い、延喜の荘園整理令や『延喜式』編纂などから後世に理想化された。ただし律令制の変質も同時に進んでいた。
③ ❌ 誤答「武士が初めて幕府を開いた時代である」
初の本格的武家政権である鎌倉幕府の成立は12世紀末で、延喜・天暦の治の10世紀前半ではない。天皇親政と武家政権を混同している。
④ ❌ 誤答「上皇による院政の全盛期である」
上皇による院政は白河上皇が1086年に始めた11世紀末以降の政治である。醍醐・村上天皇の親政とは統治主体も時期も異なる。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。