JT3-A11|歴史総合・日本史探究 対策問題
推古天皇の時代の政策として誤っているものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 4
正解
大宝律令の制定
背景・因果
推古朝では厩戸王(聖徳太子)や蘇我馬子が協力し、冠位十二階(603年・個人の才能による登用)、憲法十七条(604年・豪族への心構え)、遣隋使(607年・小野妹子)などの国家づくりが進められた。大宝律令は約100年後の701年、文武天皇の代に完成したもので誤り。
覚えるポイント
「推古朝(7世紀初め)」と「律令完成(8世紀初め)」の100年差を意識する。遣隋使の国書「日出づる処の天子」が煬帝を怒らせた話も頻出。
選択肢別の検討
① ⭕ 正しい・適切な記述(選ばない)「冠位十二階の制定」
冠位十二階は603年、推古天皇のもとで厩戸王らが制定し、氏姓にとらわれない人材登用を目指した。推古朝の政策なので誤りではない。
② ⭕ 正しい・適切な記述(選ばない)「憲法十七条の制定」
憲法十七条は604年に制定され、役人・豪族の政治上の心構えを示した。推古朝の政策に正しく対応する。
③ ⭕ 正しい・適切な記述(選ばない)「小野妹子の隋への派遣」
小野妹子は607年に遣隋使として派遣され、煬帝へ国書を届けた。推古天皇期の対外政策なので誤りではない。
④ ✅ 正解(誤り・不適切な記述)「大宝律令の制定」
大宝律令は推古朝ではなく、約一世紀後の701年に文武天皇のもとで刑部親王・藤原不比等らが編纂した。したがって誤っている記述としてこれを選ぶ。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 否定形を明示:「誤り」を選ぶ問題なので、選択肢ごとに時期・主体・内容を照合し、正しい三つにも根拠を付けてから残る一つを選ぶ。