JH-A3-07|歴史総合・日本史探究 対策問題
聖武天皇の政策として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
仏教の力で国家の安定を図り、国分寺建立の詔や大仏造立の詔を出した
背景・因果
疫病(天然痘)や藤原広嗣の乱など社会不安が続くなか、聖武天皇は鎮護国家の思想に基づき、741年に国分寺建立の詔、743年に大仏造立の詔を出した。都も恭仁京・難波宮などを転々とした。大仏開眼供養は752年、娘の孝謙天皇の時代。
覚えるポイント
核となる対応:「仏教の力で国家の安定を図り、国分寺建立の詔や大仏造立の詔を出した」。疫病や反乱が続く中、聖武天皇は鎮護国家思想に基づき、741年に国分寺建立、743年に大仏造立を命じた。仏教による国家安定を目指した政策である。
混同防止「仏教を弾圧し、寺院をすべて廃止した」:聖武天皇は仏教を弾圧せず、国分寺・国分尼寺や東大寺大仏の造営を推進した。寺院を全廃したという説明は正反対である。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「遣唐使を廃止した」
遣唐使派遣の停止は894年、宇多天皇期に菅原道真が建議した。8世紀の聖武天皇の政策ではない。
② ✅ 正解「仏教の力で国家の安定を図り、国分寺建立の詔や大仏造立の詔を出した」
疫病や反乱が続く中、聖武天皇は鎮護国家思想に基づき、741年に国分寺建立、743年に大仏造立を命じた。仏教による国家安定を目指した政策である。
③ ❌ 誤答「仏教を弾圧し、寺院をすべて廃止した」
聖武天皇は仏教を弾圧せず、国分寺・国分尼寺や東大寺大仏の造営を推進した。寺院を全廃したという説明は正反対である。
④ ❌ 誤答「平安京へ遷都した」
平安京へ遷都したのは桓武天皇で794年である。聖武天皇は奈良時代に恭仁京・難波宮・紫香楽宮などを移動した。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。