PE7-017公共・政治経済 対策問題

政治・経済C 国際政治(2) 冷戦後の国際政治と安全保障

冷戦の終結に至る過程について述べた文として最も適切なものはどれか。

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正解: 4

正解

1989年にベルリンの壁が開放され、同年のマルタ会談で米ソ首脳が冷戦の終結を宣言し、1991年にソ連が解体した

この問題のポイント

冷戦終結の年表(1989年壁開放・マルタ会談→1990年ドイツ統一→1991年ソ連解体)の順序を問う問題。

解説

1985年にソ連の指導者となったゴルバチョフは、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、新思考外交で米国との対話に転じた。1987年にはINF全廃条約が結ばれ、軍縮が現実に動き出した。
1989年、東欧諸国で共産党政権が相次いで倒れ(東欧革命)、11月には東西分断の象徴だったベルリンの壁が開放された。同年12月、地中海のマルタ島でブッシュ(父)とゴルバチョフが会談し、冷戦の終結を宣言した(マルタ会談)。
1990年に東西ドイツが統一され、1991年にはワルシャワ条約機構が解散、そして12月にソ連が解体して冷戦構造は完全に消滅した。「ヤルタからマルタへ」という表現とともに、出来事の順序が整序問題で問われる。

ひっかけポイント
終結宣言はヤルタではなくマルタ会談。壁開放(1989年)→ドイツ統一(1990年)→ソ連解体(1991年)の順序の入れ替えが定番。NATOは解散していない。

選択肢の確認

①「1989年のヤルタ会談で、米ソ首脳は冷戦の終結を宣言した」
誤り。
誤答理由: 冷戦終結を宣言したのはマルタ会談である。ヤルタ会談(1945年)は冷戦の起点となる戦後秩序を協議した会談で、正反対の位置づけになる。

②「ソ連の解体が先に起こり、その後にベルリンの壁が崩壊した」
誤り。
誤答理由: 順序が逆である。ベルリンの壁開放(1989年)が先で、ソ連解体(1991年)はその後である。

③「冷戦の終結と同時に、NATOとワルシャワ条約機構はともに解散した」
誤り。
誤答理由: 解散したのは東側のワルシャワ条約機構(1991年)だけで、NATOは冷戦後も存続し、むしろ東欧へ拡大した。

④「1989年にベルリンの壁が開放され、同年のマルタ会談で米ソ首脳が冷戦の終結を宣言し、1991年にソ連が解体した」
正しい。
正解。1989年にベルリンの壁が開放され、同年12月のマルタ会談で冷戦終結が宣言され、1991年にソ連が解体した。この順序が重要である。

覚えるポイント

  • 1989年ベルリンの壁開放・マルタ会談で終結宣言
  • 1990年ドイツ統一、1991年ソ連解体
  • 解散したのはワルシャワ条約機構、NATOは存続

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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