PE7-016|公共・政治経済 対策問題
キューバ危機についての説明として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 1
正解
1962年、ソ連によるキューバへのミサイル基地建設をめぐり核戦争の瀬戸際に至ったが、交渉により回避された
この問題のポイント
キューバ危機の経過と、危機後に緊張緩和(ホットライン・PTBT)へ向かった因果関係を問う問題。
解説
1962年、ソ連が革命後のキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚し、アメリカのケネディ大統領は海上封鎖で対抗した。米ソが正面から対峙し、世界は核戦争の瀬戸際に立たされた。
最終的にソ連のフルシチョフがミサイル撤去に応じ(アメリカはキューバ不侵攻を約束)、危機は回避された。
核戦争の恐怖を実感した米ソは、以後緊張緩和(デタント)へ動く。1963年には米ソ首脳間の直通通信回線(ホットライン)が設置され、同年、大気圏内などでの核実験を禁じる部分的核実験禁止条約(PTBT)が結ばれた。1968年の核拡散防止条約(NPT)もこの流れに位置づけられる。
「危機の体験→軍備管理の開始」という因果関係で整理するのが共通テスト流である。
ひっかけポイント
キューバ危機で米ソの直接戦闘は起きていない。危機後に合意が「撤廃」ではなく「創設」された点、ベルリン危機との場所の混同に注意。
選択肢の確認
①「1962年、ソ連によるキューバへのミサイル基地建設をめぐり核戦争の瀬戸際に至ったが、交渉により回避された」
✅ 正しい。
正解。1962年のキューバ危機はソ連のミサイル基地建設をめぐる対立で、海上封鎖と交渉の末にソ連が撤去に応じ、核戦争は回避された。
②「米ソ両軍がキューバで直接戦闘を行い、多数の犠牲者が出た」
❌ 誤り。
誤答理由: 米ソ両軍の直接戦闘は起きていない。瀬戸際で交渉により回避されたことが、この危機の最大の特徴である。
③「ベルリンの帰属をめぐって米ソが対立した危機である」
❌ 誤り。
誤答理由: ベルリンをめぐる危機はベルリン封鎖(1948年)やベルリンの壁構築(1961年)であり、キューバ危機とは別の出来事である。
④「この危機をきっかけに、米ソ間の通信手段や核実験制限の合意は撤廃された」
❌ 誤り。
誤答理由: 危機後はホットライン設置や部分的核実験禁止条約など緊張緩和の合意が生まれた。合意の撤廃ではなく創設が正しい。
覚えるポイント
- キューバ危機は1962年、核戦争の瀬戸際
- 回避後にホットライン設置とPTBT(1963年)
- 危機がデタントと軍備管理の出発点に
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。