RS-A1-02歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合A 歴史の扉(1) 歴史と私たち

明治政府による暦の改定について述べた記述として最も適切なものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 2

正解

太陰太陽暦を廃して太陽暦を採用し、明治5年12月3日を明治6年1月1日とした

この問題のポイント

明治政府の改暦を問う問題。1872年に太陰太陽暦から太陽暦へ改め、明治5年12月3日を明治6年1月1日とした、という基本知識で解ける。

解説

江戸時代までの日本は、月の満ち欠けを基準に閏月で調整する太陰太陽暦(旧暦)を使っていた。しかし欧米諸国は太陽暦(グレゴリオ暦)であり、外交・貿易の上で暦のずれは不便だった。
明治政府は1872年(明治5年)に改暦を布告し、明治5年12月3日を明治6年1月1日(1873年1月1日)とした。約1か月をいわば「消す」荒業だったが、これで日本の暦は欧米と一致した。
同時に、昼夜の長さで時間の単位が変わる不定時法を廃し、1日を24時間とする定時法を採用した。
改暦は、鉄道の時刻表や学校・工場の時間規律とともに、人々の時間意識を近代化した政策として、歴史総合の導入部で必ず取り上げられるテーマである。

ひっかけポイント
変更の方向(旧暦→太陽暦)を逆にした選択肢に注意。また改暦後も元号は使われ続けており、「元号廃止」は誤り。明治5年→6年の日付の対応も確認しておく。

選択肢の確認

①「改暦と同時に元号の使用が廃止された」
誤り。
改暦後も元号は使用され、1868年には天皇一代につき一元号とする一世一元の制が定められていた。太陽暦採用と元号廃止は結び付かない。

②「太陰太陽暦を廃して太陽暦を採用し、明治5年12月3日を明治6年1月1日とした」
正しい。
1872年(明治5年)の改暦で太陰太陽暦から太陽暦へ切り替え、明治5年12月3日の翌日を明治6年1月1日とした。欧米との暦の共通化を図る近代化政策である。

③「太陽暦を廃して太陰太陽暦を採用した」
誤り。
変更の向きが逆である。明治政府が廃したのは太陰太陽暦で、採用したのは太陽暦である。

④「暦の改定は大正時代に初めて行われた」
誤り。
改暦は大正期ではなく1872年(明治5年)に決定され、翌1873年から太陽暦が用いられた。大正時代の開始は1912年である。

覚えるポイント

  • 1872年改暦、明治5年12月3日=明治6年1月1日
  • 太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦へ
  • 定時法(1日24時間)も同時に採用

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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