RS-B3-05|歴史総合・世界史探究 対策問題
教育勅語(1890年)について述べた記述として最も適切なものはどれか。
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正解: 4
正解
忠君愛国を核とする臣民の道徳を示し、学校教育を通じて国民に浸透が図られた
この問題のポイント
教育勅語の性格を問う問題。忠君愛国を核とする臣民道徳を示し、学校を通じて国民に浸透が図られた、という国民統合の装置としての理解で解ける。
解説
教育勅語(教育ニ関スル勅語)は1890年、明治天皇の名で発布された。親孝行・夫婦の和・学業などの徳目を並べつつ、核心には「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」、すなわち国家の危機には天皇のために尽くすという忠君愛国の道徳を据えた。
勅語の謄本は全国の学校に配布され、御真影(天皇の写真)とともに式典で奉読された。子どもたちは暗唱を課され、勅語の道徳は学校教育を通じて国民の隅々へ浸透していった。
大日本帝国憲法(1889年)が国家の骨格なら、教育勅語は臣民の精神の規範であり、両者はセットで天皇制国家を支えた。
敗戦後の1948年、衆参両院で排除・失効確認が決議され、その役割を終えた。国民国家が学校を通じて国民をつくる、という歴史総合の核心テーマである。
ひっかけポイント
憲法発布(1889年)の翌1890年発布という年の対応に注意。信教の自由や男女共学を定めた文書とする選択肢は、戦後の教育基本法などとの混同を誘うもの。
選択肢の確認
①「信教の自由と政教分離を定めた法律である」
❌ 誤り。
教育勅語は法律ではなく、天皇が臣民道徳を示した勅語である。信教の自由は大日本帝国憲法にも法律の範囲内で規定されたが、政教分離を定めた文書ではない。
②「教育の機会均等と男女共学を定めた戦後の文書である」
❌ 誤り。
教育の機会均等や男女共学は、戦後の日本国憲法・教育基本法の理念である。1890年の教育勅語を1947年前後の教育改革と取り違えている。
③「発布と同時に大日本帝国憲法は廃止された」
❌ 誤り。
大日本帝国憲法は1889年発布、1890年施行であり、教育勅語と併存して帝国期の国家体制を支えた。教育勅語の発布で憲法が廃止された事実はない。
④「忠君愛国を核とする臣民の道徳を示し、学校教育を通じて国民に浸透が図られた」
✅ 正しい。
教育勅語は忠孝などの徳目と国家への献身を臣民道徳として示し、学校儀式での奉読などを通じて浸透した。大日本帝国憲法発布の翌1890年という順序も識別点である。
覚えるポイント
- 教育勅語は1890年発布、忠君愛国の臣民道徳
- 学校の式典で奉読され国民統合を支えた
- 1948年国会で排除・失効確認決議
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。