RS-B3-02|歴史総合・世界史探究 対策問題
岩倉使節団(1871〜73年)について述べた記述として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 4
正解
条約改正の予備交渉は挫折したが、欧米の制度・産業の視察が以後の国内改革に生かされた
この問題のポイント
岩倉使節団の成果を問う問題。条約改正の予備交渉は挫折したが、欧米視察が内治優先路線と以後の国内改革に生かされた、という評価で解ける。
解説
1871年、右大臣岩倉具視を全権大使とし、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文ら政府首脳の約半数が参加する大使節団が欧米へ出発した。津田梅子ら女子留学生も同行している。
目的は2つ。条約改正の予備交渉と、欧米の制度・産業の視察である。
交渉は最初の訪問国アメリカで壁に突き当たった。近代的な法制度が未整備な日本に、改正を認める国はなかったのである。使節団は交渉を断念し、視察に専念する。
しかし約1年10か月の視察で得た見聞は大きかった。「まず国内の近代化を」という内治優先の確信を持ち帰り、帰国後の殖産興業や立憲制の準備に生かされた。
帰国直後、征韓論を主張する留守政府の西郷隆盛らと対立し、明治六年の政変(1873年)で西郷らが下野する。
ひっかけポイント
「交渉成功・即改正」は明白な誤り。使節団と留守政府の対立→明治六年の政変(征韓論政変)という帰国後の展開までがセットで問われる。
選択肢の確認
①「使節団の目的は清との国交樹立であった」
❌ 誤り。
使節団の主な訪問先はアメリカとヨーロッパで、目的は条約改正の予備交渉と欧米視察だった。清との国交は1871年の日清修好条規で別に成立している。
②「使節団には政府の中心人物は参加しなかった」
❌ 誤り。
岩倉具視を全権大使とし、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文ら政府中枢が参加した。中心人物が多数国外に出たことが留守政府との政策対立の前提となった。
③「条約改正の予備交渉は成功し、ただちに不平等条約が改正された」
❌ 誤り。
使節団は条約改正の権限や国内制度の未整備を問題視され、予備交渉を実現できなかった。不平等条約の本格的改正は領事裁判権撤廃が1894年、関税自主権回復が1911年である。
④「条約改正の予備交渉は挫折したが、欧米の制度・産業の視察が以後の国内改革に生かされた」
✅ 正しい。
条約改正交渉は挫折したが、欧米の政治・教育・産業を視察した経験が内治優先と制度整備に生かされた。帰国後には留守政府との対立が明治六年の政変へつながった。
覚えるポイント
- 岩倉使節団は1871〜73年、大久保・木戸・伊藤ら参加
- 条約改正予備交渉は挫折、内治優先へ転換
- 帰国後の対立が明治六年の政変(1873年)に
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。