RS3-024|歴史総合・世界史探究 対策問題
1915年に日本が中華民国の袁世凱政権に対して行った要求はどれか。
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正解: 2
正解
二十一カ条の要求
この問題のポイント
第一次世界大戦中の日本の対中国外交を問う問題。「1915年・袁世凱政権への要求」から二十一カ条の要求を選ぶ。
解説
第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパ列強は中国に関心を向ける余裕を失った。日本の大隈重信内閣(加藤高明外相)はこの好機をとらえ、1915年に中華民国の袁世凱政権へ二十一カ条の要求を突き付けた。
主な内容は次の通りである。
- 山東省のドイツ権益を日本が継承すること
- 旅順・大連の租借期限と満鉄の権益を99年延長すること
- 日本人顧問の採用など中国政府への介入(この部分は後に撤回)
日本は最後通牒を発して要求の大部分を認めさせた。中国ではこの受諾日(5月9日)が「国恥記念日」とされ、反日ナショナリズムの原点となった。
さらに1919年のパリ講和会議で山東権益の返還要求が退けられると、北京の学生を中心に五・四運動が起こった。「二十一カ条(1915年)→五・四運動(1919年)」という因果の流れが最重要である。
ひっかけポイント
門戸開放宣言はアメリカのジョン=ヘイが1899年に出した対中国政策であり、日本の要求ではない。二十一カ条と五・四運動の年号(1915年と1919年)の入れ替えにも注意。
選択肢の確認
①「南京条約の改定要求」
❌ 誤り。
南京条約は1842年の清・イギリス間のアヘン戦争講和条約である。1915年に日本が改定を求めた文書ではない。
②「二十一カ条の要求」
✅ 正しい。
日本は1915年、第一次世界大戦での対中優位を利用し、袁世凱政府へ山東権益継承や南満洲権益延長など二十一カ条の要求を突き付けた。
③「門戸開放宣言」
❌ 誤り。
門戸開放宣言は1899年以降にアメリカ国務長官ジョン・ヘイが列強へ示した中国市場政策である。日本が袁世凱へ出した要求名ではない。
④「対華借款の全面停止」
❌ 誤り。
日本は袁世凱政権への借款や権益拡大を進め、対華借款全面停止を要求したのではない。二十一カ条は日本側の権益要求である。
覚えるポイント
- 二十一カ条の要求は1915年、大隈内閣が袁世凱政権へ
- 内容は山東のドイツ権益継承・旅順大連租借延長など
- 五・四運動(1919年)はパリ講和会議への抗議
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。