RS2-042歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合D グローバル化と私たち

中華人民共和国の成立(1949年)と日本の関係について述べた記述として最も適切なものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 3

正解

日本は1952年に台湾の中華民国政府と日華平和条約を結び、北京政府との国交は1972年までなかった

この問題のポイント

中華人民共和国成立後の日中関係を問う。冷戦下で日本は台湾の中華民国と条約を結び、北京との国交正常化は1972年という時系列が鍵。

解説

1949年10月、国共内戦に勝利した共産党の毛沢東中華人民共和国を樹立し、敗れた蒋介石の国民政府は台湾に逃れた。ここに「二つの中国」が並び立つことになった。
冷戦下で西側陣営に属した日本は、1951年のサンフランシスコ講和会議にどちらの中国政府も招かれなかったため、翌1952年に台湾の中華民国政府と日華平和条約を結んだ。以後、北京の中華人民共和国とは国交のない状態が続いた。
転機は1972年である。ニクソン米大統領の訪中という国際環境の激変を受け、田中角栄首相が訪中して日中共同声明を発表し、国交が正常化した。同時に日華平和条約は効力を失い、台湾とは断交した。どちらの中国と国交を持つかという問題は、冷戦構造そのものを映していた。

ひっかけポイント
「1949年に直ちに承認した」は誤り。国交正常化は1972年の日中共同声明であり、1978年の日中平和友好条約と混同させる出題も多い。

選択肢の確認

①「中華人民共和国はサンフランシスコ講和会議に参加した」
誤り。
サンフランシスコ講和会議には中華人民共和国も中華民国も招かれなかった。どちらを中国代表とするかについて連合国間で一致しなかったためである。

②「日本と中国の国交は戦後一度も回復していない」
誤り。
日中国交は1972年に回復し、日中平和友好条約も1978年に締結された。戦後一度も回復していないという説明はこれらの外交史と反する。

③「日本は1952年に台湾の中華民国政府と日華平和条約を結び、北京政府との国交は1972年までなかった」
正しい。
日本は西側陣営の一員として1952年に台湾の中華民国と日華平和条約を結んだ。北京の中華人民共和国との国交正常化は1972年の日中共同声明まで実現しなかった。

④「日本は1949年に直ちに中華人民共和国を承認した」
誤り。
日本政府は1949年に中華人民共和国を直ちに承認せず、台湾の中華民国政府を中国の政府として扱った。北京政府の承認は1972年である。

覚えるポイント

  • 中華人民共和国成立は1949年、国民政府は台湾へ
  • 日本は1952年に日華平和条約(台湾の中華民国と)
  • 日中国交正常化は1972年の日中共同声明(田中角栄内閣)

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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