WT8-B09|歴史総合・世界史探究 対策問題
ピョートル1世(大帝)の政策として正しいものはどれか。
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正解: 2
正解
西欧化改革を進め、北方戦争に勝利してペテルブルクを建設した
この問題のポイント
ピョートル1世の政策を問う。西欧化改革・北方戦争勝利・ペテルブルク建設の3点セットで判断できる。
解説
前提として、17世紀末のロシアは、西欧諸国に比べ技術・制度の面で立ち遅れた内陸国だった。
ピョートル1世(大帝)は変装して自ら西欧を視察し、造船技術や軍制を学んで帰国、貴族にひげを剃らせる(ひげ税)など強引な西欧化改革を断行した。
対外的には、バルト海の覇者スウェーデンと北方戦争(1700〜21年)を戦って勝利し、悲願だったバルト海への出口を獲得。その地に新都ペテルブルクを建設し、「西欧への窓」とした。
東方では清の康熙帝とネルチンスク条約(1689年)を結んで国境を定め、シベリア経営を推進した。
農奴制はむしろ強化されており、廃止(1861年)は約150年後のアレクサンドル2世の事績である。
ひっかけポイント
ピョートル1世=西欧化・バルト海、エカチェリーナ2世=クリミア併合・ラクスマン派遣という2人の事績の混同が定番。農奴解放は19世紀と時代が全く違う。
選択肢の確認
①「シベリア進出を全面的に停止した」
❌ 誤り。
ピョートル1世の時代にはネルチンスク条約で清と国境を定めるなど、東方への進出はむしろ進められた。
②「西欧化改革を進め、北方戦争に勝利してペテルブルクを建設した」
✅ 正しい。
ピョートル1世は自ら西欧を視察して技術と制度を導入し、北方戦争でスウェーデンを破ってバルト海への出口を確保し、新都ペテルブルクを建設した。
③「農奴制を廃止した」
❌ 誤り。
ロシアの農奴解放令は1861年のアレクサンドル2世によるものであり、ピョートル1世の時代にはむしろ農奴制が強められた。
④「ビザンツ帝国を滅ぼした」
❌ 誤り。
ビザンツ帝国を滅ぼしたのは1453年のオスマン帝国である。
覚えるポイント
- ピョートル1世=西欧化改革の断行
- 北方戦争(1700〜21年)勝利、ペテルブルク建設
- ネルチンスク条約(1689年)で清と国境画定
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。