RN7-021公共・倫理 対策問題

倫理C 日本の思想(2) 鎌倉仏教

道元の悟りの境地を表す身心脱落の説明として最も適切なものはどれか。

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正解: 2

正解

坐禅に徹する中で、身体と心へのいっさいの執着が抜け落ちた境地をいう

この問題のポイント

身心脱落=執着からの解放という理解を問う問題。苦行や虚無との混同が誤答の型。

解説

身心脱落(しんじんだつらく)は、道元が宋の師如浄のもとで坐禅中に開けた悟りの境地を表す言葉である。
それは、身体と心を消し去ることではなく、身体と心とに対する自己の執着がすっかり抜け落ち、自我へのとらわれを離れて、あるがままの真理(法)の中に自己が解き放たれることをいう。道元は主著**『正法眼蔵』**の中で「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」(要旨)と述べ、自己への執着を忘れ去るところに、万法(あらゆる存在)によって証されるまことの自己が現れると説いた。
只管打坐とは、まさにこの身心脱落がそのまま現成する坐禅である。悟りは自我の努力の成果として獲得されるのではなく、執着を手放したところにおのずから現れる。この思想は自力の修行の極致でありながら、自我中心性の徹底した否定でもある。

ひっかけポイント
苦行による肉体の否定や、虚無への消滅と混同させる選択肢が定番。脱落するのは身心そのものではなく、身心への執着である。

選択肢の確認

①「念仏によって身も心も阿弥陀仏に預けきることをいう」
誤り。
誤答理由: 身も心も阿弥陀仏に預けるのは浄土教の他力の表現であり、坐禅による道元の身心脱落とは系統が異なる。

②「坐禅に徹する中で、身体と心へのいっさいの執着が抜け落ちた境地をいう」
正しい。
正解。身心脱落は、坐禅において身体と心へのいっさいの執着が抜け落ち、自我へのとらわれを離れた悟りの境地をいう。

③「肉体を苦行によって痛めつけ、精神だけの存在になることをいう」
誤り。
誤答理由: 肉体を苦行で痛めつけて精神だけになることではない。脱落するのは身心への執着であり、苦行主義とは異なる。

④「身体と心が消滅して無に帰することへの恐怖をいう」
誤り。
誤答理由: 身心脱落は虚無への消滅やその恐怖ではなく、執着を離れて真理のうちに解き放たれる積極的な境地である。

覚えるポイント

  • 身心脱落=身心への執着が抜け落ちること
  • 自己をわするるところに真の自己が現れる
  • 只管打坐において身心脱落が現成する

共通テスト攻略

  • 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
  • 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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