RN7-020公共・倫理 対策問題

倫理C 日本の思想(2) 鎌倉仏教

道元が説いた只管打坐の説明として最も適切なものはどれか。

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正解: 3

正解

悟りという目的のための手段としてではなく、ただひたすらに坐禅することそのものに徹する修行のあり方をいう

この問題のポイント

只管打坐の「只管(ひたすら)」の意味と、公案を用いる臨済禅との違いを問う問題。

解説

道元(1200〜53年)は宋に渡り、天童山の如浄のもとで悟りを得て帰国し、日本の曹洞宗の開祖となった。
道元の禅の核心は只管打坐(しかんたざ)である。只管とは「ひたすら」の意で、悟りを得るための手段として坐るのではなく、一切の思いはからいを捨てて、ただひたすらに坐り抜くことそのものに徹する。
道元によれば、坐禅は悟りに至るための修行なのではなく、正しく坐ることがそのまま悟りの現れである。修行と悟りの証は一体であるというこの考えを
修証一等
(修証一如)という。人は誰でも仏性を持つが、それは修行においてはじめて現実のものとなる。だからこそ修行は生涯やむことがない。
公案という問題を用いて悟りへの契機とする臨済宗の禅風(看話禅)に対し、ひたすら黙って坐る曹洞宗の禅風は黙照禅とも呼ばれる。

ひっかけポイント
公案による修行は臨済宗であり、道元の只管打坐との入れ替えが最頻出。只管打坐は「悟りのための手段としての坐禅」を否定する点が核心である。

選択肢の確認

①「坐禅とともに念仏を唱え、阿弥陀仏の来迎を待つ修行のあり方をいう」
誤り。
誤答理由: 道元は坐禅に徹することを説いたのであり、念仏と組み合わせて来迎を待つ修行は浄土教の立場である。

②「山中で断食などの荒行を積んで超人的な力を得る修行のあり方をいう」
誤り。
誤答理由: 断食などの荒行で超人的な力を得る修行は山岳修験の系統であり、正身端坐を旨とする道元の坐禅とは別物である。

③「悟りという目的のための手段としてではなく、ただひたすらに坐禅することそのものに徹する修行のあり方をいう」
正しい。
正解。只管打坐は、悟りのための手段としてではなく、ただひたすら坐禅することそのものに徹する道元の修行のあり方である。

④「師から与えられた公案を解決することによって悟りに至る修行のあり方をいう」
誤り。
誤答理由: 公案の解決を通じて悟りをめざすのは臨済宗の禅風(看話禅)であり、公案に頼らない道元の只管打坐とは異なる。

覚えるポイント

  • 只管打坐=ひたすら坐り抜くことに徹する
  • 修証一等=修行がそのまま悟りの現れ
  • 公案の臨済(看話禅)と対比される

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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