RN7-022公共・倫理 対策問題

倫理C 日本の思想(2) 鎌倉仏教

道元の生き方と著作についての説明として最も適切なものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 1

正解

政治権力への接近を避けて越前の山中に永平寺を開き、主著『正法眼蔵』で自らの禅の思想を示した

この問題のポイント

権力から距離を置いた道元の出家主義と、『正法眼蔵』という主著の組合せを問う問題。

解説

道元は、名利(名声や利益)を求める心を修行の最大の敵として退け、政治権力との結びつきを避けた。
京都での布教が旧仏教勢力の圧迫を受けると、越前(福井県)の山中に移り、永平寺を開いて弟子の育成に専念した。北条時頼の招きで一時鎌倉に赴いたものの、まもなく永平寺に帰山したと伝えられる。幕府と結びついて発展した栄西の臨済宗との対比が際立つ点である。
道元は、ひたすら修行に打ち込むには世俗を離れた出家が本筋であるとする厳格な出家主義をとり、修行道場の規律を細かく定めた。主著**『正法眼蔵』は、正しい仏法の神髄を和文で論じた大著であり、日本思想史上の傑作とされる。弟子の懐奘が道元の教えを記録した『正法眼蔵随聞記』**も、その人柄と思想を伝える書として名高い。

ひっかけポイント
幕府の保護を受けた栄西との対比が定番の出題点。『興禅護国論』は栄西の著作。『正法眼蔵』(道元)と『正法眼蔵随聞記』(懐奘の記録)の区別にも注意。

選択肢の確認

①「政治権力への接近を避けて越前の山中に永平寺を開き、主著『正法眼蔵』で自らの禅の思想を示した」
正しい。
正解。道元は権力への接近を避けて越前に永平寺を開き、主著『正法眼蔵』で自らの禅の思想を示した。

②「幕府の求めに応じて鎌倉に常住し、幕府の宗教顧問として活動した」
誤り。
誤答理由: 道元は北条時頼の招きにも永平寺へ帰山したと伝えられ、幕府の宗教顧問として鎌倉に常住した事実はない。

③「『興禅護国論』を著して、禅が国家鎮護に役立つことを幕府に訴えた」
誤り。
誤答理由: 『興禅護国論』は栄西の著作であり、道元の主著は『正法眼蔵』である。

④「在家信者の生活を重視し、出家修行を不要であると説いた」
誤り。
誤答理由: 道元は世俗を離れた出家修行を本筋とする厳格な出家主義をとっており、出家不要論は立場と正反対である。

覚えるポイント

  • 権力を避け越前に永平寺を開いた
  • 厳格な出家主義で修行に専念
  • 主著『正法眼蔵』、随聞記は弟子懐奘の記録

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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