JH-B3-06|歴史総合・日本史探究 対策問題
応仁の乱(1467〜77年)が社会や文化に与えた影響として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
戦火を逃れた公家や文化人が地方へ下り、中央の文化が地方に広まった
背景・因果
将軍家と管領家の継承争いに細川勝元・山名持豊(宗全)の対立が絡み、京都は焼け野原となった。公家らの疎開により文化の地方伝播が進み(山口の大内氏など)、幕府権威は失墜して下剋上の戦国時代へ向かう。乱後に山城の国一揆(1485年)が起こる流れも押さえる。
覚えるポイント
核となる対応:「戦火を逃れた公家や文化人が地方へ下り、中央の文化が地方に広まった」。京都の戦火を避けた公家・僧侶・文化人が守護大名の領国などへ移り、連歌や学問など中央文化が地方へ伝わった。山口の大内氏の文化などが代表例である。
混同防止「京都は繁栄を続け、幕府の権威はかえって強まった」:応仁の乱で京都は焼け、将軍の調停力も低下して室町幕府の権威は失墜した。京都繁栄と幕府権威強化という説明は結果が逆である。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「乱と同時に鎌倉幕府が滅亡した」
鎌倉幕府が滅亡したのは1333年で、応仁の乱開始より134年前である。1467年の乱は室町幕府下で起こった。
② ✅ 正解「戦火を逃れた公家や文化人が地方へ下り、中央の文化が地方に広まった」
京都の戦火を避けた公家・僧侶・文化人が守護大名の領国などへ移り、連歌や学問など中央文化が地方へ伝わった。山口の大内氏の文化などが代表例である。
③ ❌ 誤答「京都は繁栄を続け、幕府の権威はかえって強まった」
応仁の乱で京都は焼け、将軍の調停力も低下して室町幕府の権威は失墜した。京都繁栄と幕府権威強化という説明は結果が逆である。
④ ❌ 誤答「乱の後、守護大名の力が強まり戦国大名は現れなかった」
乱後は守護大名の領国支配が動揺し、家臣や国人が台頭する下剋上が進んで戦国大名が現れた。戦国大名が現れなかったという説明は誤りである。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。