JH-B3-10歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究B 中世の日本と世界(3) 中世の国家・社会の展開と画期

鎌倉幕府の滅亡(1333年)について述べた記述として最も適切なものはどれか。

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正解: 3

正解

後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利高氏らが六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻め落とした

背景・因果

隠岐を脱出した後醍醐天皇の討幕の呼びかけに、楠木正成らの抵抗に加え、幕府側から寝返った足利高氏(尊氏)が六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻略して幕府は滅んだ。直後の建武の新政が武士の不満で崩れ、南北朝の動乱へ向かう流れで問われる。

覚えるポイント

  • 核となる対応:「後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利高氏らが六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻め落とした」。後醍醐天皇の討幕運動に応じ、足利高氏が京都の六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻略したことで1333年に幕府が滅亡した。人物と攻撃対象の対応が正しい。

  • 混同防止「元軍の三度目の襲来によって滅ぼされた」:元軍の襲来は1274年と1281年の2度で、3度目はない。元寇後の御家人窮乏は幕府弱体化の背景だが、直接滅ぼした軍ではない。

選択肢別の検討

① ❌ 誤答「応仁の乱の戦火で鎌倉が焼失して滅んだ」
応仁の乱は1467年に京都を中心に起こり、室町幕府の衰退を進めた。1333年の鎌倉幕府滅亡より1世紀以上後である。

② ❌ 誤答「豊臣秀吉の小田原攻めによって滅亡した」
豊臣秀吉の小田原攻めは1590年に戦国大名後北条氏を滅ぼした戦いである。鎌倉幕府の北条氏とは時代も系統も異なる。

③ ✅ 正解「後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利高氏らが六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻め落とした」
後醍醐天皇の討幕運動に応じ、足利高氏が京都の六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻略したことで1333年に幕府が滅亡した。人物と攻撃対象の対応が正しい。

④ ❌ 誤答「元軍の三度目の襲来によって滅ぼされた」
元軍の襲来は1274年と1281年の2度で、3度目はない。元寇後の御家人窮乏は幕府弱体化の背景だが、直接滅ぼした軍ではない。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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