JH-D1-07|歴史総合・日本史探究 対策問題
薩英戦争(1863年)と四国艦隊下関砲撃事件(1864年)が薩摩・長州両藩に与えた影響として最も適切なものはどれか。
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正解: 1
正解
攘夷が現実には不可能であることを悟り、軍備の近代化と倒幕へ方針を転換する契機となった
背景・因果
生麦事件の報復である薩英戦争、攘夷実行への報復である下関砲撃事件で、両藩は列強の軍事力を痛感し、攘夷から開国・軍備近代化へ転換した。薩摩はイギリスに接近し、薩長同盟(1866年)を経て倒幕へ向かう。「攘夷の挫折」が明治維新の前提として問われる。
覚えるポイント
核となる対応:「攘夷が現実には不可能であることを悟り、軍備の近代化と倒幕へ方針を転換する契機となった」。薩摩・長州は列強の軍事力を実戦で知り、攘夷の困難を認識して開国・軍備近代化へ転じた。のちに薩長同盟を結び倒幕を主導する契機となった。
混同防止「両藩は攘夷の成功に自信を深め、鎖国の復活を主張した」:両藩は列強艦隊に大きな打撃を受け、攘夷成功への自信を深めたのではない。鎖国復活より西洋技術導入へ方向転換した。
選択肢別の検討
① ✅ 正解「攘夷が現実には不可能であることを悟り、軍備の近代化と倒幕へ方針を転換する契機となった」
薩摩・長州は列強の軍事力を実戦で知り、攘夷の困難を認識して開国・軍備近代化へ転じた。のちに薩長同盟を結び倒幕を主導する契機となった。
② ❌ 誤答「両藩は攘夷の成功に自信を深め、鎖国の復活を主張した」
両藩は列強艦隊に大きな打撃を受け、攘夷成功への自信を深めたのではない。鎖国復活より西洋技術導入へ方向転換した。
③ ❌ 誤答「両藩はイギリスとの関係を断絶し続けた」
薩摩藩は薩英戦争後にイギリスへ接近し、留学生派遣や武器購入を進めた。両藩がイギリスと断絶し続けたという因果は逆である。
④ ❌ 誤答「この経験から両藩は幕府への忠誠を強めた」
列強との戦闘経験は幕府の攘夷政策への不信を強め、両藩は倒幕側へ向かった。幕府への忠誠強化には結び付いていない。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。