JT2-B27歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究B 中世の日本と世界(3) 中世の国家・社会の展開と画期

足利義満による有力守護の勢力削減の例として正しいものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 1

正解

明徳の乱で山名氏清を、応永の乱で大内義弘を討った

背景・因果

義満は「六分一衆」と呼ばれた山名氏を明徳の乱(1391年)で、堺で挙兵した大内義弘を応永の乱(1399年)で討ち、将軍権力を固めた。

覚えるポイント

義満の守護抑圧と、義教暗殺(嘉吉の変)後の権威失墜を対比すると、応仁の乱までの流れが立体的になる。

選択肢別の検討

① ✅ 正解「明徳の乱で山名氏清を、応永の乱で大内義弘を討った」
足利義満は1391年の明徳の乱で山名氏清を破り、1399年の応永の乱で大内義弘を討って有力守護の勢力を削いだ。これにより室町将軍の権力を強化した。

② ❌ 誤答「嘉吉の変で赤松満祐を自ら討った」
1441年の嘉吉の変は、将軍足利義教が赤松満祐に暗殺された事件であり、義満が満祐を自ら討った事件ではない。義満は1408年に死去しており、年代も一致しない。

③ ❌ 誤答「承久の乱で後鳥羽上皇を破った」
1221年の承久の乱では後鳥羽上皇方を北条義時・泰時らの鎌倉幕府軍が破った。足利義満が生まれる一世紀以上前の事件で、有力守護抑圧策ではない。

④ ❌ 誤答「応仁の乱で細川勝元を追放した」
1467〜1477年の応仁の乱は義満の死後に起こり、細川勝元は東軍の総大将として戦った。義満が勝元を追放した事実はなく、勝元は1473年に乱の最中に死去した。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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