KZ-R6HB-06|歴史総合・世界史探究 対策問題
同じグラフの起点である1861年に、ロシアで行われた改革はどれか。

解答・解説を見る
正解: 2
正解
農奴解放令の発布
この問題のポイント
グラフの起点1861年に行われたロシアの改革を問う問題。クリミア戦争敗北を受けたアレクサンドル2世の農奴解放令という基準年号で即答できる。
解説
ロシアはクリミア戦争(1853〜56年)で英仏に敗れ、農奴制に基づく後進性を痛感した。皇帝アレクサンドル2世は上からの近代化改革に乗り出す。
その中心が1861年の農奴解放令である。農奴は人格的な自由を認められたが、土地は有償で買い戻す必要があり、農民の生活は楽にならなかった。
それでも、農民が村を離れて働けるようになったことは大きい。移動可能な労働力が生まれたことが、以後の鉄道建設や工業化の前提となった。
グラフが1861年から始まるのは、この年がロシア近代化の出発点だからである。同じ1861年にアメリカで南北戦争が始まった同時代性も覚えておきたい。
ひっかけポイント
十月宣言(1905年)・血の日曜日事件(1905年)・ソヴィエト政権樹立(1917年)はいずれも20世紀の出来事。1861年という軸の年号だけで判別できる。
選択肢の確認
①「ソヴィエト政権の樹立」
❌ 誤り。
ソヴィエト政権の樹立は1917年の十月革命によるもので、帝政期の1861年とはまったく時期が異なる。
②「農奴解放令の発布」
✅ 正しい。
1861年、クリミア戦争の敗北を受けたアレクサンドル2世が農奴解放令を発した。労働力の移動が可能になり、以後の鉄道建設と工業化の前提となった。
③「十月宣言」
❌ 誤り。
十月宣言は1905年革命のさなかにニコライ2世が国会開設などを約束した詔勅で、44年あとの出来事である。
④「血の日曜日事件」
❌ 誤り。
血の日曜日事件は1905年1月にペテルブルクの請願行進へ軍が発砲した事件で、第1次ロシア革命の発端である。
覚えるポイント
- 農奴解放令は1861年、アレクサンドル2世
- 背景はクリミア戦争(1853〜56年)の敗北
- 1861年はアメリカ南北戦争の開戦年でもある
共通テスト攻略
- 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
- 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。