KZ-R8H-07|歴史総合・世界史探究 対策問題
パネルは1930年代半ばの京城(現ソウル)中心部を示し、清渓川の南側に日本式の「町」の地名や三越百貨店京城支店が見える。この都市構造の説明として最も適切なものはどれか。

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正解: 1
正解
川を境に日本人居住区と朝鮮人居住区が分かれる、植民地都市の二重構造がみられた
この問題のポイント
1930年代の京城の都市構造を問う問題。川を境に日本人居住区(町)と朝鮮人居住区(洞)が分かれる植民地都市の二重構造を、地名と人口比率から読み取る。
解説
1910年の韓国併合後、朝鮮の首都だった漢城は京城と改称され、朝鮮総督府の統治拠点となった。
市街は清渓川を境に性格が分かれた。川の南側は日本人が集住し、日本式の「町」の付く地名が並び、三越百貨店京城支店のような日本資本の商業施設が進出した。川の北側は朝鮮人の生活圏で、朝鮮式の「洞」の地名が残った。
パネルの注記にある日本人比率(南部52%・北部8.7%)は、この住み分けを数値で裏付けている。
支配民族と被支配民族の居住が分かれ、都市機能にも格差がある構造は植民地都市の二重構造と呼ばれ、英領インドなど世界の植民地都市に共通してみられる。
ひっかけポイント
「すべて日本人だった」「朝鮮式地名が完全に消された」のような全否定・全肯定の選択肢は資料と矛盾する。地名(町と洞)の分布と人口比率という2つの証拠を対応させて読む。
選択肢の確認
①「川を境に日本人居住区と朝鮮人居住区が分かれる、植民地都市の二重構造がみられた」
✅ 正しい。
正解。注記の日本人比率(南部52%・北部8.7%)と「町」「洞」の地名の分布が、川を境とする居住分離を示す。植民地都市に典型的な二重構造である。
②「京城の住民はすべて日本人だった」
❌ 誤り。
パネルの注記に1936年の京城人口約68万人のうち日本人は約13万人とあり、住民の多数は朝鮮人だった。全員が日本人という説明は数値と矛盾する。
③「朝鮮式の地名は市内から完全に消されていた」
❌ 誤り。
地図の北部には安国洞・仁寺洞など朝鮮式の「洞」の地名が残っている。完全に消されたという説明はパネルの表記と食い違う。
④「京城には商業施設が存在しなかった」
❌ 誤り。
地図には三越百貨店京城支店が描かれており、商業施設は存在した。百貨店の進出はむしろ植民地都市の消費文化を示す材料である。
覚えるポイント
- 韓国併合は1910年、漢城は京城と改称
- 川の南=日本人区(町)、北=朝鮮人区(洞)
- 植民地都市の二重構造は世界の植民地に共通
共通テスト攻略
- 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
- 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。