RS-C1-02歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合C 国際秩序の変化や大衆化と私たち

アメリカ大統領ウィルソンが1918年に発表した十四か条の平和原則について述べた記述として最も適切なものはどれか。

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正解: 4

正解

民族自決や国際平和機構の設立を掲げ、国際連盟設立につながった

この問題のポイント

ウィルソンの十四か条の内容と影響を問う問題。民族自決・国際平和機構の提唱が国際連盟につながった一方、アメリカ自身は不参加という結末までがポイント。

解説

1918年1月、アメリカ大統領ウィルソンは、戦後の新しい国際秩序の構想として十四か条の平和原則を発表した。秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、民族自決、そして国際平和機構の設立などを掲げたものである。
この提案に基づき、パリ講和会議を経て1920年に国際連盟が発足した。
しかし理念と現実にはずれがあった。民族自決が適用されたのは主に東欧(ポーランドなど新独立国)で、アジア・アフリカの植民地には適用されなかった。この失望が、朝鮮の三・一独立運動、中国の五・四運動(ともに1919年)を後押しする。
さらにアメリカ自身は、上院の反対(モンロー主義への回帰)で連盟に不参加となり、連盟は大国の欠けた不安定な出発となった。

ひっかけポイント
提唱国アメリカが国際連盟に参加しなかった、という逆説が最大のひっかけどころ。民族自決の適用範囲が東欧中心だった点も「すべての植民地の独立」と混同しない。

選択肢の確認

①「すべての植民地の即時独立を実現させた」
誤り。
民族自決は主にヨーロッパで適用され、アジア・アフリカの植民地がすべて直ちに独立したわけではない。この不徹底が朝鮮の三・一独立運動や中国の五・四運動の背景となった。

②「ブロック経済の形成を各国に呼びかけた」
誤り。
排他的なブロック経済が広がるのは1929年の世界恐慌後で、自由な通商を掲げた十四か条とは方向も時期も異なる。1930年代の政策を1918年に移した誤りである。

③「この原則によりアメリカは国際連盟の中心国となった」
誤り。
ウィルソンは国際連盟を提唱したが、アメリカ上院が加盟を承認せず、アメリカは参加しなかった。提唱国と実際の加盟国を区別する必要がある。

④「民族自決や国際平和機構の設立を掲げ、国際連盟設立につながった」
正しい。
ウィルソンの十四か条は民族自決、秘密外交の廃止、国際平和機構などを掲げ、国際連盟創設の構想につながった。ただし理念の適用範囲と実態には大きな限界があった。

覚えるポイント

  • 十四か条は1918年、ウィルソンが発表
  • 民族自決は東欧中心、アジアには不適用→三・一運動と五・四運動
  • アメリカは上院の反対で国際連盟不参加

共通テスト攻略

  • 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
  • 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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