WT-E1-02|歴史総合・世界史探究 対策問題
1955年にインドネシアで開かれ、平和十原則を採択した会議はどれか。
解答・解説を見る
正解: 4
正解
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)
この問題のポイント
1955年にインドネシアで開かれた会議を問う問題。バンドン会議=平和十原則=第三勢力の結集という対応で解ける。
解説
第二次世界大戦後、アジア・アフリカでは植民地支配からの独立が相次いだ。しかし世界は米ソの冷戦の下にあり、新独立国はどちらの陣営にも属さない立場を模索した。
1954年、インドのネルー首相と中国の周恩来首相が会談し、領土主権の尊重・内政不干渉・平和共存などの平和五原則を発表した。
これを受けて1955年、インドネシアのバンドンで史上初のアジア・アフリカ首脳会議(バンドン会議)が開かれ、29カ国が参加した。会議は反植民地主義と平和共存をうたう平和十原則を採択し、米ソいずれの陣営にも属さない第三勢力の存在を世界に示した。
この流れは、1960年にアフリカで17カ国が独立した「アフリカの年」、1961年にベオグラードで開かれた非同盟諸国首脳会議へと続き、国際政治における新興独立国の発言力を高めていった。
ひっかけポイント
ヤルタ会談(1945年・米英ソ)やパリ講和会議(1919年)など、大国中心の会議との性格の違いに注意。平和五原則(1954年・ネルーと周恩来)と平和十原則(1955年・バンドン)の混同も定番。
選択肢の確認
①「ヤルタ会談」
❌ 誤り。
ヤルタ会談は1945年に米英ソ首脳が戦後処理を協議した会談で、開催地はクリミア半島である。
②「パリ講和会議」
❌ 誤り。
パリ講和会議は1919年に第一次世界大戦の講和を協議した会議である。
③「ウィーン会議」
❌ 誤り。
ウィーン会議は1814〜15年に開かれ、ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序を決めた会議である。
④「アジア・アフリカ会議(バンドン会議)」
✅ 正しい。
1955年、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ29カ国の代表が集まり、反植民地主義と平和共存を掲げる平和十原則を採択した。
覚えるポイント
- 1955年バンドン会議(アジア・アフリカ会議)で平和十原則
- 前提は1954年のネルー・周恩来の平和五原則
- 1960年アフリカの年→1961年非同盟諸国首脳会議
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。