RS-C3-04歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合C 国際秩序の変化や大衆化と私たち(3) 経済危機と第二次世界大戦

1940〜41年の日本の外交について述べた記述として最も適切なものはどれか。

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正解: 4

正解

日独伊三国同盟を結び、翌年には日ソ中立条約を結んで南方進出を進めた

この問題のポイント

1940〜41年の日本外交を問う問題。日独伊三国同盟と日ソ中立条約で南進の態勢を整えたが、対米関係が決定的に悪化した、という因果で解ける。

解説

ヨーロッパでドイツが快進撃を続けると、日本では独伊と結んで南方(東南アジア)の資源地帯へ進出しようとする空気が強まった。
1940年9月、日本は北部仏印に進駐し、日独伊三国同盟を締結する。アメリカを仮想敵とする軍事同盟であり、日米関係は決定的に悪化した。
1941年4月には日ソ中立条約を結び、北方の安全を確保して南進に専念できる態勢を整えた(直後の6月に独ソ戦が始まるが、日本は条約を維持して南進を選ぶ)。
1941年7月、日本が南部仏印進駐を強行すると、アメリカは在米日本資産の凍結と対日石油輸出の禁止で応じた。石油の大半を米国に依存していた日本は追い詰められ、日米交渉は行き詰まる。
同年12月8日、真珠湾攻撃とマレー半島上陸で太平洋戦争が始まった。

ひっかけポイント
三国同盟で対米関係は「改善」ではなく決定的に悪化した、という因果の向きが核心。日ソ中立条約は「同盟」ではなく中立条約である点も区別する。

選択肢の確認

①「日英同盟を復活させてアメリカに対抗した」
誤り。
日英同盟はワシントン会議の四カ国条約によって1920年代に終了し、1940〜41年に復活していない。この時期、日本は英米ではなく独伊へ接近した。

②「ソ連と同盟を結んで対米戦争を共同で開始した」
誤り。
日ソ中立条約は相互中立を定めたもので、軍事同盟ではない。ソ連と共同で対米戦争を開始したのではなく、日本は1941年12月に単独で英米などとの戦争へ入った。

③「三国同盟の締結により日米関係は改善した」
誤り。
三国同盟はアメリカの警戒を強め、南部仏印進駐も加わって日米関係を悪化させた。関係改善ではなく、経済制裁と交渉決裂へ進んだ。

④「日独伊三国同盟を結び、翌年には日ソ中立条約を結んで南方進出を進めた」
正しい。
日本は1940年に日独伊三国同盟、1941年に日ソ中立条約を結び、北方を安定させて南進した。南部仏印進駐とアメリカの石油禁輸を経て、日米開戦へ至る因果が重要である。

覚えるポイント

  • 日独伊三国同盟は1940年9月
  • 日ソ中立条約は1941年4月、南進の準備
  • 南部仏印進駐→対日石油禁輸→開戦(1941年12月)

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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