RS2-036歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合C 国際秩序の変化や大衆化と私たち(3) 経済危機と第二次世界大戦

ヤルタ会談(1945年2月)の内容として最も適切なものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 4

正解

ドイツ降伏後のソ連の対日参戦が秘密協定で約束された

この問題のポイント

ヤルタ会談(1945年2月)の内容、特にソ連対日参戦の秘密協定を問う。ポツダム会談・カイロ宣言との区別が鍵。

解説

ヤルタ会談は1945年2月、クリミア半島のヤルタで開かれた米英ソ三国の首脳会談である。ローズヴェルト、チャーチル、スターリンが参加し、ドイツ降伏後の処理や戦後の国際秩序を協議した。
対日関係では、ドイツ降伏の2〜3か月後にソ連が対日参戦すること、その見返りに南樺太の返還と千島列島の引き渡しを認めることが、秘密協定として約束された。
実際にソ連は1945年8月8日、日ソ中立条約を無視して対日宣戦し、満州・南樺太・千島に侵攻した。この秘密協定は北方領土問題の起点として現在まで影響を残している。なお国際連合設立の方針もこの会談で確認されており、設立が決まったのは国際連盟ではない点にも注意したい。

ひっかけポイント
ヤルタ(1945年2月・米英ソ・秘密協定)とポツダム(同年7月・対日降伏勧告)の入れ替えが最頻出。カイロ宣言(1943年・対日領土方針)とも混同しないこと。

選択肢の確認

①「日本の無条件降伏がこの会談で受け入れられた」
誤り。
日本がポツダム宣言受諾を決定したのは1945年8月で、ヤルタ会談では日本代表も参加していない。無条件降伏受入れを決めた会談ではない。

②「国際連盟の設立が決定された」
誤り。
第一次世界大戦後の国際連盟は1920年に既に設立されていた。ヤルタでは国際連合の安全保障理事会投票方式などが協議されたので、両組織を混同している。

③「日本と連合国の講和条約が結ばれた」
誤り。
日本と連合国の講和条約は1951年のサンフランシスコ平和条約である。ヤルタ会談は戦争中の連合国首脳会談で、日本との講和ではない。

④「ドイツ降伏後のソ連の対日参戦が秘密協定で約束された」
正しい。
1945年2月のヤルタ会談で、米英ソ首脳はドイツ降伏後2〜3か月以内のソ連対日参戦を秘密協定で定めた。見返りとして南樺太返還や千島引渡しなどが約束された。

覚えるポイント

  • ヤルタ会談は1945年2月、米英ソ首脳(ローズヴェルト・チャーチル・スターリン)
  • 秘密協定でドイツ降伏後2〜3か月でのソ連対日参戦を約束
  • 見返りは南樺太・千島列島。北方領土問題の起点

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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