RS3-016歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合B 近代化と私たち(3) 国民国家と明治維新

ポーツマス条約(1905年)について述べた文として正しいものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 1

正解

賠償金が得られず、国内で日比谷焼打ち事件が起こった

この問題のポイント

ポーツマス条約の特徴=賠償金なしを問う。国民の不満が日比谷焼打ち事件として爆発した、という因果関係までがセット。

解説

日露戦争(1904〜05年)では、日本海海戦に勝利したものの日本の国力はすでに限界に達しており、ロシアも革命運動で戦争継続が困難だった。そこでアメリカ大統領セオドア=ローズヴェルトの仲介により、1905年9月、アメリカ東部の軍港ポーツマスで講和条約が結ばれた。
日本が得たのは、韓国に対する指導・監督権、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道利権(のちの南満州鉄道)、北緯50度以南の樺太南半分である。しかし賠償金は一切得られなかった
増税と戦死者の犠牲に耐えて戦争を支えた国民は「賠償なし」の講和に激怒し、講和反対の国民大会をきっかけに日比谷焼打ち事件が起こり、戒厳令が敷かれた。「日清戦争=賠償金あり、日露戦争=賠償金なし」という対比が最頻出である。

ひっかけポイント
「多額の賠償金を得た」は日清戦争(下関条約)とのすり替え。日露戦争の相手はロシアであり、清やアメリカとする選択肢も誤り。仲介国アメリカと交戦国ロシアを混同しない。

選択肢の確認

①「賠償金が得られず、国内で日比谷焼打ち事件が起こった」
正しい。
ポーツマス条約では韓国での優越権や南樺太などを得たが賠償金を得られず、講和条件への不満から日比谷焼打ち事件が起こった。

②「多額の賠償金を得て、戦後経営の財源となった」
誤り。
ロシアから賠償金を得られなかったことが国内不満の中心だった。多額の賠償金を得たのは日清戦争後の下関条約である。

③「清との講和条約であり、台湾の割譲を定めた」
誤り。
清との日清戦争を終結し台湾割譲を定めたのは1895年の下関条約である。ポーツマス条約は日露戦争の講和条約だった。

④「アメリカとの戦争を終結させた条約である」
誤り。
ポーツマス条約は日本とロシアの戦争を終結させ、アメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトが仲介した。日米戦争の講和ではない。

覚えるポイント

  • ポーツマス条約は1905年、セオドア=ローズヴェルトの仲介
  • 樺太南半分・旅順大連租借権・満鉄利権を獲得、賠償金なし
  • 賠償なしへの不満から日比谷焼打ち事件(1905年)

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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