RS3-006歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合B 近代化と私たち(2) 結び付く世界と日本の開国

アヘン戦争の講和条約として1842年に結ばれ、香港島の割譲などを定めた条約はどれか。

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正解: 2

正解

南京条約

この問題のポイント

アヘン戦争の講和条約=南京条約(1842年)を問う。香港島割譲・5港開港という内容と、日本の対外政策への影響までがセット。

解説

19世紀前半、イギリスは清からの茶の輸入で貿易赤字が膨らみ、インド産アヘンを清へ密輸する三角貿易で穴埋めしていた。清の欽差大臣林則徐がアヘンを厳しく取り締まると、イギリスは1840年に開戦した。これがアヘン戦争である。
敗れた清は1842年、南京条約を結んだ。内容は、香港島の割譲、上海・広州など5港の開港、賠償金の支払い、公行(特権商人組合)の廃止である。さらに翌年の追加条約で領事裁判権や協定関税も認めさせられ、不平等条約の体制が東アジアに持ち込まれた。
この敗報はオランダ経由で日本の幕府にも届き、1842年に異国船打払令を緩和して天保の薪水給与令を出す契機となった。清の敗北が日本の政策を変えたという連動が、歴史総合の頻出論点である。

ひっかけポイント
北京条約(1860年・アロー戦争後)、天津条約、下関条約(1895年・日清戦争)との入れ替えが定番。「アヘン戦争→南京条約(1842年)」の対応を確実に。

選択肢の確認

①「下関条約」
誤り。
下関条約は1895年に日清戦争を終結させ、台湾・澎湖諸島などを日本へ割譲した。清とイギリスのアヘン戦争とは異なる。

②「南京条約」
正しい。
南京条約は1842年にアヘン戦争を終結させ、香港島割譲、上海など5港開港、賠償金を定めた。清の不平等条約体制の出発点となった。

③「北京条約」
誤り。
北京条約は1860年にアロー戦争を終結させ、九竜半島の一部割譲などを定めた。アヘン戦争直後の1842年条約ではない。

④「天津条約」
誤り。
天津条約は1858年にアロー戦争中に結ばれ、外国公使の北京駐在などを認めた。香港島割譲を定めた講和条約は南京条約である。

覚えるポイント

  • アヘン戦争(1840〜42年)の講和は南京条約
  • 内容は香港島割譲・上海など5港開港・賠償金
  • 敗報が日本に伝わり天保の薪水給与令(1842年)へ

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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