RS2-046|歴史総合・世界史探究 対策問題
1978年に締結された日中平和友好条約について述べた記述として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
日中共同声明を踏まえ、福田赳夫内閣のときに結ばれた
この問題のポイント
日中平和友好条約(1978年)の位置づけを問う。1972年の共同声明(国交正常化)を条約化したもので、内閣は福田赳夫という対応が鍵。
解説
日本と中華人民共和国の国交は、1972年に田中角栄首相が訪中して発表した日中共同声明によって正常化した。ただし声明は条約ではないため、両国関係を法的に安定させる条約の締結が次の課題として残された。
交渉は、どの国の覇権にも反対するという覇権条項をめぐって難航したが、1978年8月、福田赳夫内閣のもとで日中平和友好条約が調印された。
内容は主権尊重・不可侵・内政不干渉など、平和的な関係の原則を確認するものである。同年には鄧小平が来日し、中国は改革開放政策へと踏み出していく。「1972年=共同声明・国交正常化・田中角栄」「1978年=平和友好条約・福田赳夫」という、6年のずれと内閣の対応を正確に覚えることが重要である。
ひっかけポイント
「この条約で初めて国交正常化」が最大の引っかけ。正常化は1972年の共同声明。声明(田中)と条約(福田)の内閣の入れ替えにも注意。
選択肢の確認
①「条約は吉田茂内閣が調印した」
❌ 誤り。
吉田茂内閣が結んだ対中国条約は1952年の中華民国との日華平和条約である。日中平和友好条約の首相は福田赳夫である。
②「この条約により日米安全保障条約は廃棄された」
❌ 誤り。
条約は中国との平和友好関係を定めたが、日米安全保障条約を廃棄していない。日本は日米同盟を維持したまま中国との関係を正常化・発展させた。
③「日中共同声明を踏まえ、福田赳夫内閣のときに結ばれた」
✅ 正しい。
1972年の日中共同声明による国交正常化を基礎に、福田赳夫内閣が1978年に日中平和友好条約を締結した。声明と条約の6年差が識別点である。
④「この条約で初めて日中の国交が正常化した」
❌ 誤り。
日中国交正常化は田中角栄内閣の1972年共同声明で実現していた。1978年条約は正常化を条約として発展させたもので、最初の国交回復ではない。
覚えるポイント
- 日中共同声明は1972年・田中角栄内閣・国交正常化
- 日中平和友好条約は1978年・福田赳夫内閣
- 1978年には鄧小平が来日、中国は改革開放へ
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。