WT2-B03|歴史総合・世界史探究 対策問題
ローマ帝国でキリスト教が国教とされるまでの経過として正しいものはどれか。
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正解: 2
正解
ミラノ勅令で公認され、テオドシウス帝の時代に国教とされた
この問題のポイント
ローマ帝国でのキリスト教の地位の変遷を問う問題。「迫害→公認(313年)→国教化(392年)」の3段階の順序で解ける。
解説
1世紀にパレスチナで生まれたキリスト教は、皇帝崇拝を拒んだため、ネロ帝(64年)やディオクレティアヌス帝(303年の大迫害)による激しい迫害を受けた。それでも下層民や女性を中心に信者は増え続け、帝国内に無視できない勢力となった。
そこでコンスタンティヌス帝は313年、ミラノ勅令でキリスト教を公認し、帝国統合に利用する方針へ転換した。325年にはニケーア公会議を開き、アタナシウス派を正統、アリウス派を異端として教義の統一を図った。
さらに392年、テオドシウス帝が他の宗教の祭儀を禁止し、キリスト教は事実上の国教となった。
テオドシウス帝が395年に死去すると帝国は東西に分割され、その後のヨーロッパ世界は東西それぞれの教会とともに歩むことになる。迫害から国教化まで約300年かかった点を押さえたい。
ひっかけポイント
ネロ帝は「公認」ではなく「迫害」した皇帝で、役割の入れ替えに注意。公認(313年コンスタンティヌス帝)と国教化(392年テオドシウス帝)の皇帝と年号の対応をずらす選択肢が定番。
選択肢の確認
①「国教とされたのは西ローマ帝国滅亡後である」
❌ 誤り。
国教化は392年で、西ローマ帝国の滅亡(476年)より前の出来事である。
②「ミラノ勅令で公認され、テオドシウス帝の時代に国教とされた」
✅ 正しい。
313年にコンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認し、392年にテオドシウス帝が他の宗教を禁じて事実上の国教とした。
③「成立と同時に国教とされた」
❌ 誤り。
キリスト教は成立後にネロ帝やディオクレティアヌス帝の迫害を受けており、成立と同時に国教とされたという説明は事実に反する。
④「ネロ帝が公認し、コンスタンティヌス帝が禁止した」
❌ 誤り。
ネロ帝は1世紀にキリスト教徒を迫害した皇帝で、公認したのはコンスタンティヌス帝である。二人の役割が入れ替わっている。
覚えるポイント
- 313年ミラノ勅令で公認(コンスタンティヌス帝)
- 325年ニケーア公会議でアタナシウス派が正統
- 392年テオドシウス帝が国教化、395年帝国東西分割
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。