WT2-C09歴史総合・世界史探究 対策問題

世界史探究C 諸地域の交流・再編(3) アジア諸地域とヨーロッパの再編

清の康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代について述べた文として正しいものはどれか。

解答・解説を見る

正解: 3

正解

台湾・モンゴル・チベットなどを版図に加え、清の最盛期を築いた

この問題のポイント

清の最盛期を築いた康熙・雍正・乾隆の3帝の時代を問う問題。台湾・モンゴル・チベット・新疆を版図に加えた領土拡大がポイント。

解説

清は満洲人(女真人)が建てた王朝で、1644年の明滅亡後に北京へ入り中国支配を始めた。その支配を盤石にしたのが、17世紀後半から18世紀末までの康熙帝・雍正帝・乾隆帝の3代、約130年間の最盛期である。

康熙帝は三藩の乱を平定し、1683年に台湾の鄭氏政権を降して台湾を領土に加えた。1689年にはロシアとネルチンスク条約を結び、対等な形式で国境を定めた。これは朝貢体制をとる中国が結んだ例外的な国際条約として重要である。

雍正帝は軍機処を設けて皇帝独裁を強め、乾隆帝はジュンガルを滅ぼして東トルキスタンを新疆(新しい領土の意)と名づけた。こうして台湾・外モンゴル・チベット・新疆を含む、現在の中国の領域の原型となる大版図が完成した。

税制では人頭税を土地税に繰り込む地丁銀制が定着し、人口の急増を支えた。宮廷ではカスティリオーネらイエズス会宣教師も活動した。

ひっかけポイント
ネルチンスク条約(1689年・康熙帝)とキャフタ条約(1727年・雍正帝)、さらに19世紀の不平等条約(アイグン条約・北京条約)との混同に注意。3帝の時代は清の滅亡ではなく最盛期である。

選択肢の確認

①「領土は万里の長城以南に限られた」
誤り。
清は満洲を本拠とし、モンゴルや新疆など長城の北・西にも広大な領土を持っていた。

②「ヨーロッパとの接触は一切なかった」
誤り。
ネルチンスク条約でロシアと国境を定め、イエズス会宣教師が宮廷で活動するなど、ヨーロッパとの接触は現にあった。

③「台湾・モンゴル・チベットなどを版図に加え、清の最盛期を築いた」
正しい。
康熙・雍正・乾隆の約130年間に台湾の平定、外モンゴル・チベット・新疆の支配が実現し、清は最大版図と最盛期を迎えた。

④「この3帝の時代に清は滅亡した」
誤り。
清が滅亡するのは辛亥革命後の1912年であり、3帝の時代から100年以上あとのことである。

覚えるポイント

  • 康熙・雍正・乾隆の3帝約130年間が清の最盛期
  • 康熙帝は1683年台湾平定、1689年ネルチンスク条約でロシアと国境画定
  • 乾隆帝が新疆を平定、地丁銀制で人口急増

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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