WT8-B18|歴史総合・世界史探究 対策問題
サファヴィー朝ペルシアについて述べた文として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
シーア派を国教とし、アッバース1世の都イスファハーンは「世界の半分」と称された
この問題のポイント
サファヴィー朝の宗派と最盛期を問う。シーア派国教化と、アッバース1世の都イスファハーンという2点で判断できる。
解説
前提として、1501年、神秘主義教団の長イスマーイールがイランにサファヴィー朝を建てた。
この王朝はシーア派(十二イマーム派)を国教とし、王はイラン伝統の王号シャーを用いた。スンナ派の盟主オスマン帝国とは宗派・領土の両面で激しく対立し、同盟関係にはない。
最盛期のアッバース1世(在位1587〜1629年)は軍制を改革してオスマンから領土を奪回し、新都イスファハーンを建設した。王の広場を中心にモスクと市場が並ぶ壮麗さは「イスファハーンは世界の半分」と称された。
現在のイランがシーア派国家である直接の起源はこの王朝にある。同時代の3つのイスラーム帝国(オスマン・サファヴィー・ムガル)を宗派・民族・都で比較する表問題が定番である。
ひっかけポイント
サファヴィー朝=シーア派、オスマン帝国=スンナ派という宗派対立の構図を逆にしない。都はイスファハーンでありバグダードではない。
選択肢の確認
①「都はバグダードに置かれた」
❌ 誤り。
都はタブリーズからカズヴィーン、さらにイスファハーンへ移されたのであり、バグダードではない。
②「シーア派を国教とし、アッバース1世の都イスファハーンは「世界の半分」と称された」
✅ 正しい。
1501年に成立したサファヴィー朝はシーア派を国教とし、最盛期のアッバース1世が築いた新都イスファハーンは世界の半分と称された。
③「スンナ派の盟主としてオスマン帝国と同盟した」
❌ 誤り。
サファヴィー朝はシーア派を国教としてスンナ派のオスマン帝国と抗争しており、同盟してはいない。
④「ヒンドゥー教を国教とした」
❌ 誤り。
ヒンドゥー教はインドの宗教であり、サファヴィー朝の国教はシーア派のイスラームである。
覚えるポイント
- サファヴィー朝(1501年〜)=シーア派を国教化
- アッバース1世が最盛期、都イスファハーン
- 現代イランがシーア派である起源
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。