WT8-A06|歴史総合・世界史探究 対策問題
3世紀に成立したササン朝ペルシアについて述べた文として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
ゾロアスター教を国教とし、ビザンツ帝国と抗争を繰り返した
この問題のポイント
ササン朝の宗教と対外関係を問う。ゾロアスター教の国教化とビザンツ帝国との抗争、東方への文化伝播で判断する。
解説
前提として、ササン朝(226〜651年)はパルティアを倒してイラン高原に成立したペルシア人の王朝である。
国教としたのは、光明神アフラ・マズダを崇めるゾロアスター教(拝火教)だった。イスラームの成立は7世紀であり、ササン朝はむしろイスラーム勢力にニハーヴァンドの戦い(642年)で敗れて滅亡した側である。
対外的には、シャープール1世がローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にし、最盛期のホスロー1世はビザンツ帝国のユスティニアヌス帝と抗争を続けた。
その文化は絹の道・海の道を通って東へ伝わり、日本の正倉院の漆胡瓶や白瑠璃碗にササン朝風の意匠が見られる。東西交流の代表例である。
ひっかけポイント
ササン朝の国教はゾロアスター教であり、イスラームではない。むしろイスラーム勢力に滅ぼされた王朝という関係を逆にしない。
選択肢の確認
①「仏教を国教とした」
❌ 誤り。
ササン朝の国教はゾロアスター教であり、仏教ではない。
②「ゾロアスター教を国教とし、ビザンツ帝国と抗争を繰り返した」
✅ 正しい。
ササン朝はゾロアスター教を国教とし、シャープール1世がローマ皇帝を捕虜にし、ホスロー1世の時代にはビザンツ帝国と抗争を繰り返した。
③「イスラームを国教とした」
❌ 誤り。
ササン朝は7世紀にイスラーム勢力に敗れて滅んだ王朝であり、イスラームを国教としてはいない。
④「ローマ帝国の属州だった」
❌ 誤り。
ササン朝はローマやビザンツと対等に戦った独立の帝国であり、ローマの属州ではない。
覚えるポイント
- ササン朝は226〜651年、国教はゾロアスター教
- ホスロー1世が最盛期、ビザンツと抗争
- ニハーヴァンドの戦い(642年)で敗れ滅亡、正倉院に文化が伝来
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。