WT8-B20歴史総合・世界史探究 対策問題

世界史探究C 諸地域の交流・再編(3) アジア諸地域とヨーロッパの再編

イギリスの東インド会社がインド支配の足がかりとした1757年の戦いはどれか。

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正解: 1

正解

プラッシーの戦い

この問題のポイント

イギリスのインド支配の起点となったプラッシーの戦いを問う。1757年・クライヴ・ベンガルの3点セットで即答したい。

解説

前提として、ムガル帝国が衰退した18世紀のインドでは、イギリスとフランスの東インド会社が、現地勢力と結びながら覇権を争っていた。
1757年、クライヴ率いるイギリス東インド会社軍は、プラッシーの戦いでフランスと結んだベンガル太守の軍を破った。
この勝利で会社はベンガル地方の実権を握り、1765年にはムガル皇帝からベンガルなどの徴税権(ディーワーニー)を獲得した。一介の商社が領土と税を支配する統治者へ変質したのである。
以後約100年、戦争と藩王国の従属化を重ねてインド全域を支配し、1857年の
インド大反乱
を機に会社は解散、イギリス本国の直接統治へ移行する。
ワーテルロー(1815年・対ナポレオン)、レキシントン(1775年・アメリカ独立戦争)、アウステルリッツ(1805年・ナポレオンの勝利)は全て別の戦い。

ひっかけポイント
プラッシー(1757年)と大反乱(1857年)がちょうど100年差である点は年代整序の定番。戦い名だけ知っていても、商社が統治者化した意義まで問われる。

選択肢の確認

①「プラッシーの戦い」
正しい。
1757年、クライヴ率いるイギリス東インド会社軍がフランスと結んだベンガル太守軍を破った戦いで、これによりベンガル地方の実質的支配権を得た。のちの徴税権獲得につながるインド植民地化の起点である。

②「ワーテルローの戦い」
誤り。
ワーテルローの戦いは1815年、ナポレオンがイギリス・プロイセン連合軍に敗れた戦いで、舞台はヨーロッパでありインドとは無関係である。

③「レキシントンの戦い」
誤り。
レキシントンの戦いは1775年、アメリカ独立戦争の口火を切った北米での戦闘であり、時期も場所も異なる。

④「アウステルリッツの戦い」
誤り。
アウステルリッツの戦いは1805年、ナポレオンがオーストリア・ロシア連合軍を破った三帝会戦で、ヨーロッパ大陸での戦いである。

覚えるポイント

  • プラッシーの戦いは1757年、クライヴの勝利
  • ベンガルの徴税権(ディーワーニー)獲得へ
  • 100年後の1857年にインド大反乱

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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