KZ-R6TB-09歴史総合・世界史探究 対策問題

共通テスト図版チャレンジ令和6年度 追試験(世界史B)

表のケープ植民地は、17世紀にある国の東インド会社が築いた補給拠点に起源を持つ。その国と、イギリス領となった経緯の組合せとして正しいものはどれか。

KZ-R6TB-09の問題図版
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正解: 3

正解

オランダが建設し、ウィーン会議でイギリス領として認められた

この問題のポイント

ケープ植民地の来歴を問う問題。1652年のオランダ東インド会社による建設から、ナポレオン戦争を経てウィーン会議でイギリス領となるまでの経緯を押さえる。

解説

ケープ植民地は1652年、オランダ東インド会社がアジア航路の補給基地として建設した。ヨーロッパとアジアを結ぶ喜望峰回りの航路の中継点である。
入植したオランダ系の人々は農牧に従事し、その子孫がブール人(アフリカーナー)である。
ナポレオン戦争でオランダ本国がフランスの支配下に入ると、イギリスはケープを占領し、1814〜15年のウィーン会議イギリス領として国際的に認められた。ウィーン会議でイギリスはセイロン島も獲得しており、海上覇権の要地を押さえた点で共通する。
イギリス支配を嫌ったブール人は内陸へ大移動(グレート・トレック)し、トランスヴァール共和国などを建てた。これが表の時代の南アフリカ戦争、さらに白人支配の南アフリカ連邦へと続く伏線となる。

ひっかけポイント
ウィーン会議でのイギリスの獲得地(ケープ植民地・セイロン島)は頻出の組合せ。建設した国(オランダ)と獲得した国(イギリス)の対応を混同しないこと。

選択肢の確認

①「ポルトガルが建設し、スペインに売却された」
誤り。
ポルトガルは喜望峰航路の開拓者だがケープに植民地は築いておらず、スペインへの売却という事実もない。

②「ドイツが建設し、第一次世界大戦後に委任統治領となった」
誤り。
ドイツ領だった南西アフリカ(ナミビア)と混同した説明である。ケープ植民地はオランダ起源で、19世紀初めからイギリスの支配下に入った。

③「オランダが建設し、ウィーン会議でイギリス領として認められた」
正しい。
正解。ケープ植民地は1652年にオランダ東インド会社が補給基地として建設し、ナポレオン戦争中のイギリス占領を経てウィーン会議で正式にイギリス領となった。

④「フランスが建設し、百年戦争でイギリスに奪われた」
誤り。
ケープ植民地を建設したのはフランスではなくオランダであり、百年戦争は14〜15世紀の英仏間の戦争で南アフリカとは無関係である。

覚えるポイント

  • 1652年オランダ東インド会社がケープ植民地建設
  • ウィーン会議(1814〜15年)でイギリス領に
  • ブール人のグレート・トレックが南ア戦争の遠因

共通テスト攻略

  • 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
  • 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
  • 文を分解して判定:組合せを一度に選ばず、人物と政策、地域と制度などを一組ずつ○×判定する。確実に誤る一組を含む選択肢から消す。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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