JH-A3-05歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究A 原始・古代の日本と東アジア(3) 古代の国家・社会の展開と画期

壬申の乱(672年)について述べた記述として最も適切なものはどれか。

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正解: 4

正解

大海人皇子が大友皇子を破って即位し、天皇中心の政治体制が強化された

背景・因果

天智天皇の死後、弟の大海人皇子と子の大友皇子が皇位を争い、大海人皇子が勝利して天武天皇となった。乱で近江朝廷側の有力豪族が没落したため天皇の権力が強まり、八色の姓の制定など天皇中心の国家づくりが進んだ。乙巳の変(645年)と混同しない。

覚えるポイント

  • 核となる対応:「大海人皇子が大友皇子を破って即位し、天皇中心の政治体制が強化された」。天智天皇没後の672年、大海人皇子が大友皇子側を破り、天武天皇として即位した。有力豪族を抑えて天皇中心の律令国家形成を進める契機となった。

  • 混同防止「大友皇子が勝利し、都を平城京へ移した」:勝者は大友皇子ではなく大海人皇子である。また平城京遷都は710年の元明天皇期で、壬申の乱直後ではない。

選択肢別の検討

① ❌ 誤答「大友皇子が勝利し、都を平城京へ移した」
勝者は大友皇子ではなく大海人皇子である。また平城京遷都は710年の元明天皇期で、壬申の乱直後ではない。

② ❌ 誤答「蘇我氏が中大兄皇子に滅ぼされた事件である」
蘇我入鹿を中大兄皇子・中臣鎌足らが倒したのは645年の乙巳の変である。壬申の乱は天智系と大海人皇子の皇位継承争いである。

③ ❌ 誤答「藤原氏どうしの内紛である」
壬申の乱は藤原氏内部の争いではなく、大海人皇子と大友皇子の皇位継承戦争である。藤原氏の他氏排斥事件との混同である。

④ ✅ 正解「大海人皇子が大友皇子を破って即位し、天皇中心の政治体制が強化された」
天智天皇没後の672年、大海人皇子が大友皇子側を破り、天武天皇として即位した。有力豪族を抑えて天皇中心の律令国家形成を進める契機となった。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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