JH-B1-04|歴史総合・日本史探究 対策問題
保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)に共通する歴史的意味として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
中央の政争が武士の実力で決着し、武士の政治的地位が高まった
背景・因果
保元の乱は天皇家・摂関家の内紛を、平治の乱は院近臣の対立を、いずれも武士の武力が決着させた。平治の乱で源義朝を破った平清盛が台頭し、平氏政権への道が開かれる。「都の政治が武士なしに動かなくなった」ことが中世への転換点として問われる。
覚えるポイント
核となる対応:「中央の政争が武士の実力で決着し、武士の政治的地位が高まった」。保元の乱では天皇家・摂関家、平治の乱では院近臣の対立を武士の武力が決着させた。平清盛ら武士の政治的地位が上昇する転換点となった。
混同防止「武士が完全に没落し、貴族政治が復活した」:両乱後は平清盛が台頭して平氏政権へ向かった。武士が没落して貴族政治だけに戻ったという説明は逆である。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「幕府と朝廷が直接戦った戦乱である」
1156年・1159年には鎌倉幕府はまだ成立していない。幕府と朝廷の直接戦争ではなく、朝廷内部の対立へ武士が動員された。
② ✅ 正解「中央の政争が武士の実力で決着し、武士の政治的地位が高まった」
保元の乱では天皇家・摂関家、平治の乱では院近臣の対立を武士の武力が決着させた。平清盛ら武士の政治的地位が上昇する転換点となった。
③ ❌ 誤答「武士が完全に没落し、貴族政治が復活した」
両乱後は平清盛が台頭して平氏政権へ向かった。武士が没落して貴族政治だけに戻ったという説明は逆である。
④ ❌ 誤答「地方の農民どうしの争いである」
両乱は京都の皇位継承や中央政争を背景とし、地方農民同士の争いではない。中央政治と武力の結合が重要である。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 比較軸をそろえる:二つの時代・地域を、政治の担い手、土地・税制、対外関係、社会への影響など同じ軸で比べ、共通点と相違点を混同しない。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。