JT2-D05|歴史総合・日本史探究 対策問題
1881年の明治十四年の政変の内容として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
開拓使官有物払下げへの批判の中、大隈重信が罷免され、国会開設の勅諭が出された
背景・因果
開拓使官有物払下げ事件への世論の批判が高まる中、政府は早期国会開設を主張する大隈重信を罷免し、同時に国会開設の勅諭(1890年開設約束)で世論をなだめた。以後、伊藤博文らが憲法制定の主導権を握る。
覚えるポイント
「批判の矛先そらし+10年後の約束+主導権確保」の三点セット。大隈は翌年、立憲改進党を結成する。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「伊藤博文が政府から追放された」
伊藤博文は追放されず政府の中心に残り、憲法調査や内閣制度創設を主導した。罷免された人物との対応が逆である。
② ❌ 誤答「憲法が停止された事件である」
1881年には憲法はまだ発布されていないため、停止された事件ではない。国会開設と憲法制定への日程が示された。
③ ✅ 正解「開拓使官有物払下げへの批判の中、大隈重信が罷免され、国会開設の勅諭が出された」
開拓使官有物払下げ事件への世論の批判の中、政変で大隈重信が罷免され、政府は1890年の国会開設を約束する勅諭を出した。薩長閥主導が強まった。
④ ❌ 誤答「西郷隆盛が政府に復帰した政変である」
西郷隆盛は1877年の西南戦争で死亡しており、1881年に政府へ復帰できない。政変で政府を去ったのは大隈重信である。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。