JT3-D11|歴史総合・日本史探究 対策問題
1881年の明治十四年の政変の結果として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 1
正解
大隈重信が罷免され、10年後の国会開設が公約された
背景・因果
開拓使官有物払下げ事件への世論の批判が高まるなか、政府は1881年、即時国会開設を主張していた大隈重信を罷免するとともに、国会開設の勅諭で1890年の国会開設を公約した(明治十四年の政変)。これを受けて板垣退助の自由党、大隈の立憲改進党が結成され、政府は伊藤博文を中心に憲法制定の準備を進めた。
覚えるポイント
「罷免(弾圧)と開設公約(譲歩)が同時」という政変の二面性が核心。以後の「自由党=フランス流」「改進党=イギリス流」の政党の性格対比も定番。
選択肢別の検討
① ✅ 正解「大隈重信が罷免され、10年後の国会開設が公約された」
明治十四年の政変で大隈重信が政府から罷免され、国会開設の勅諭が1890年の国会開設を約束した。伊藤博文ら薩長勢力の主導が強まった。
② ❌ 誤答「伊藤博文が政府を追放された」
伊藤博文は追放されず政府中枢に残り、欧州憲法調査、内閣制度、大日本帝国憲法制定を主導した。
③ ❌ 誤答「即時の国会開設が決定された」
国会を直ちに開くのではなく、10年後の1890年開設を公約した。民権派の早期開設要求を抑える意図もあった。
④ ❌ 誤答「自由民権運動が完全に消滅した」
自由民権運動は政変後に自由党・立憲改進党の結成へ進み、完全消滅していない。運動の激化・政党化を促した。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。