JT3-B07歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究B 中世の日本と世界(3) 中世の国家・社会の展開と画期

1334年から後醍醐天皇が行った天皇中心の政治を何というか。

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正解: 2

正解

建武の新政

背景・因果

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は年号を建武と改め、摂政・関白も幕府も置かず、すべての土地所有の確認に天皇の綸旨を必要とするなど天皇中心の建武の新政を始めた。しかし恩賞の不公平や武家社会の慣習の無視で武士の不満が高まり、足利尊氏の離反で約2年半で崩れた。

覚えるポイント

新政批判の資料として『二条河原落書』(「此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨…」)が超定番。なぜ武士が離反したかを説明できるように。

選択肢別の検討

① ❌ 誤答「貞観の治」
貞観の治は9世紀後半、清和天皇期の藤原良房らによる安定政治を指す。南北朝直前の後醍醐天皇の新政とは時代が異なる。

② ✅ 正解「建武の新政」
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は1334年から摂関・幕府を置かない建武の新政を始めた。綸旨を重視したが武士の慣習を軽視し、足利尊氏の離反で崩れた。

③ ❌ 誤答「正中の変」
正中の変は1324年、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚した事件である。幕府滅亡後に実施した政治体制の名称ではない。

④ ❌ 誤答「延喜の治」
延喜の治は10世紀初め、醍醐天皇の親政を指す。後醍醐天皇がその名を理想としたが、1334年の政治は建武の新政である。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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