JT3-B23歴史総合・日本史探究 対策問題

日本史探究B 中世の日本と世界(3) 中世の国家・社会の展開と画期

豊臣秀吉が1592年と1597年の二度にわたり出兵した相手はどこか。

解答・解説を見る

正解: 4

正解

朝鮮

背景・因果

明の征服をめざした秀吉は、服属と先導を拒んだ朝鮮に、1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)の二度出兵した。李舜臣の水軍や明の援軍、義兵の抵抗で戦局は膠着し、秀吉の死により撤兵した。出兵は豊臣政権の国力を消耗させ、政権崩壊の一因となった。

覚えるポイント

「文禄(1592年)→慶長(1597年)」の順序、朝鮮側の呼称(壬辰・丁酉倭乱)、連行された陶工が有田焼などの起源となった文化的影響まで頻出。

選択肢別の検討

① ❌ 誤答「琉球」
琉球には服属を要求したが、1592年・1597年の大規模出兵先ではない。琉球侵攻は1609年に薩摩藩が行った。

② ❌ 誤答「台湾」
台湾は文禄・慶長の役の出兵先ではない。日本による台湾植民地化は日清戦争後の1895年からである。

③ ❌ 誤答「フィリピン」
秀吉はフィリピンへ服属を要求する書簡を送ったが、二度の大軍出兵は行っていない。実際の戦場は朝鮮半島である。

④ ✅ 正解「朝鮮」
秀吉は明征服を構想し、通路を求めた朝鮮へ1592年の文禄の役、1597年の慶長の役と二度出兵した。李舜臣水軍・義兵・明援軍の抵抗を受けた。

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

関連問題

JT3-B22JT3-B24