PE-B3-01|公共・政治経済 対策問題
戦後日本経済の歩みについての説明として最も適切なものはどれか。
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正解: 4
正解
1955年ごろから約20年間、日本経済は年平均10%前後の高い成長を続け、この間に国民所得倍増計画も打ち出された
この問題のポイント
戦後日本経済の画期を問う問題。「高度成長1955〜73年」「プラザ合意1985年→円高」「バブル1980年代後半」という時期の対応で解ける。
解説
戦後日本経済の流れは、いくつかの画期で整理できる。
高度経済成長は1955年ごろから1973年まで続き、実質経済成長率は年平均10%前後に達した。1960年には池田勇人内閣が国民所得倍増計画を打ち出し、1968年には資本主義国で第2位のGNP(国民総生産)となった。
この成長は1973年の第1次石油危機で終わる。翌74年は戦後初のマイナス成長となり、以後は安定成長の時代に入った。
1985年のプラザ合意では、ドル高を是正するため主要5か国が協調介入に合意し、急速な円高が進んだ。円高不況への対策として低金利政策がとられると、あふれた資金が土地と株に向かい、1980年代後半に地価・株価が実態を超えて高騰するバブル経済が発生した。
1991年ごろバブルは崩壊し、金融機関は不良債権を抱え、日本経済は「失われた10年」と呼ばれる長期停滞とデフレに苦しむことになった。
ひっかけポイント
プラザ合意は円「高」の起点であり、円安とする逆転が最頻出。高度成長の終点は石油危機(1973年)、バブルは1980年代後半という時期の対応も確実に。
選択肢の確認
①「高度経済成長は、1990年代の初めまで途切れることなく続いた」
❌ 誤り。
誤答理由: 高度経済成長は1973年の第1次石油危機で終わり、翌74年は戦後初のマイナス成長となった。1990年代まで続いたのではない。
②「バブル経済と呼ばれる地価・株価の高騰は、1950年代の現象である」
❌ 誤り。
誤答理由: バブル経済は1980年代後半、プラザ合意後の低金利の下で地価・株価が高騰した現象であり、1950年代の出来事ではない。
③「1985年のプラザ合意をきっかけに、急速な円安が進行した」
❌ 誤り。
誤答理由: プラザ合意はドル高の是正に合意したもので、これを機に進んだのは急速な円高である。円安とする説明は方向が逆である。
④「1955年ごろから約20年間、日本経済は年平均10%前後の高い成長を続け、この間に国民所得倍増計画も打ち出された」
✅ 正しい。
正解。高度経済成長は1955年ごろから1973年の石油危機まで続き、実質成長率は年平均10%前後、1960年には国民所得倍増計画が打ち出された。
覚えるポイント
- 高度経済成長は1955〜73年、年平均約10%
- 1960年国民所得倍増計画(池田内閣)
- プラザ合意(1985年)→円高→バブル→91年崩壊
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。