KZ-R7T-14歴史総合・世界史探究 対策問題

共通テスト図版チャレンジ令和7年度 追・再試験

スライドの構想の挫折を経て独立したインドは、1950年代の冷戦下で独自の外交を展開した。その説明として最も適切なものはどれか。

KZ-R7T-14の問題図版
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正解: 4

正解

非同盟中立の立場をとり、平和五原則の発表やアジア・アフリカ会議を主導した

この問題のポイント

独立後インドの冷戦下の外交方針を問う問題。ネルー首相が主導した非同盟・平和五原則・アジア・アフリカ会議という「第三勢力」の路線を押さえる。

解説

初代首相ネルーは、米ソどちらの軍事ブロックにも属さない非同盟中立を独立インドの外交方針とした。植民地支配から脱したばかりの国々にとって、大国への従属を拒む姿勢は広い共感を呼んだ。
1954年、ネルーは中国の周恩来と会談し、領土主権の尊重・相互不侵略・内政不干渉・平等互恵・平和共存からなる「平和五原則」を発表した。
翌1955年にはインドネシアのバンドンアジア・アフリカ会議が開かれ、29カ国が平和十原則を採択する。1961年には非同盟諸国首脳会議が始まり、これらの国々は「第三世界」と呼ばれる勢力となった。
冷戦の二極構造に対する、新独立国側からの対抗軸の形成である。もっともインドはその後、1962年に中国と国境紛争を起こすなど、理念と現実のずれも経験していく。

ひっかけポイント
印パ対立の中でパキスタンが西側の軍事同盟に接近したのと対照的に、インドは非同盟を貫いた。「中立=孤立」ではなく、会議外交を主導する積極的な路線だった点が核心。

選択肢の確認

①「北大西洋条約機構に加盟して西側陣営に属した」
誤り。
北大西洋条約機構は北米と西欧の同盟であり、インドは加盟していない。西側の軍事同盟に接近したのはむしろ対立するパキスタンだった。

②「ソ連と軍事同盟を結んで東側陣営の一員となった」
誤り。
インドはソ連とも軍事同盟を結ばず、東側陣営には属していない。米ソ双方から距離を置くのが非同盟の立場である。

③「いかなる国際会議にも参加しない孤立政策をとった」
誤り。
インドは孤立ではなく、アジア・アフリカ会議や非同盟諸国首脳会議など会議外交を積極的に主導した。

④「非同盟中立の立場をとり、平和五原則の発表やアジア・アフリカ会議を主導した」
正しい。
正解。ネルー首相のインドは非同盟中立を掲げ、1954年の平和五原則、1955年のアジア・アフリカ会議を主導して第三世界の中心となった。

覚えるポイント

  • ネルー・周恩来の平和五原則は1954年
  • 1955年バンドンでアジア・アフリカ会議
  • 1961年から非同盟諸国首脳会議、第三世界の形成

共通テスト攻略

  • 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
  • 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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