KZ-R7TB-05|歴史総合・世界史探究 対策問題
図は1875年の日本の軍艦雲揚号の移動経路を示す。この艦が朝鮮側と交戦した事件と、その翌年の帰結の組合せとして正しいものはどれか。

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正解: 2
正解
江華島事件・日朝修好条規の締結
この問題のポイント
1875年の雲揚号の交戦事件と翌年の帰結を問う問題。江華島事件から日朝修好条規へ、という砲艦外交の流れを地図の経路と結び付ける。
解説
明治政府は朝鮮に国交樹立を迫っていたが、交渉は行き詰まっていた。1875年、日本の軍艦雲揚号は朝鮮沿岸で測量と示威行動を行い、首都漢城(現ソウル)への水路の入口にあたる江華島付近で朝鮮側の砲台と交戦した。これが江華島事件である。
図の航路が江華島=首都の喉元へ向かっている点に、意図的な挑発の性格が読み取れる。
日本はこの事件を口実に軍艦を派遣して交渉を迫り、翌1876年、日朝修好条規(江華条約)を締結させた。釜山など3港の開港、日本の領事裁判権などを含む不平等条約である。
ペリーの砲艦外交で開国させられた日本が、約20年後に同じ手法を朝鮮に用いた、という構図が最大の論点である。
ひっかけポイント
壬午軍乱(1882年)・甲午農民戦争(1894年)など朝鮮関係の事件との年代の入れ替えに注意。「事件は1875年、条約は翌1876年」というセットで覚える。
選択肢の確認
①「義和団戦争・北京議定書」
❌ 誤り。
義和団戦争(1900〜01年)と北京議定書は中国での出来事で、朝鮮沿岸での雲揚号の行動とは対象も時期も異なる。
②「江華島事件・日朝修好条規の締結」
✅ 正しい。
正解。1875年の江華島事件を機に、日本は翌1876年、領事裁判権を含む不平等条約である日朝修好条規を朝鮮に結ばせて開国させた。
③「甲午農民戦争・日清戦争の開始」
❌ 誤り。
甲午農民戦争と日清戦争は1894年の出来事で、図の1875年の雲揚号の行動とは約20年ずれている。
④「壬午軍乱・済物浦条約」
❌ 誤り。
壬午軍乱は1882年の漢城での兵士反乱で、済物浦条約はその処理である。雲揚号の交戦とは別の事件である。
覚えるポイント
- 江華島事件は1875年、雲揚号の挑発から交戦
- 翌1876年日朝修好条規(不平等条約)で朝鮮開国
- ペリーの砲艦外交の手法を日本が朝鮮に転用
共通テスト攻略
- 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
- 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
- 文を分解して判定:組合せを一度に選ばず、人物と政策、地域と制度などを一組ずつ○×判定する。確実に誤る一組を含む選択肢から消す。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。